llustration & novel
✧ 移り住んだ町の、初めての夏 ✧
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✧ 移り住んだ町の、初めての夏 ✧
高台の家のこの二階の窓からは、海辺から続く小さな一本の道が見える。その道のほとんどは左右から茂る木々に覆われていたが、ところどころ舗装もしていない道が見えていた。
夏休みが始まったある日、その道をとじ君とかなめ君が、この窓の方にジャンプしながら何度も手を振っていて、何やら可笑しそうに歩いていた。
「あれ、今日約束なんかしてたっけ?」そう思いながら両手で大きく振り返す。それに気がいたとじ君とかなめ君は、飛ぶように走り出した。その手には何かを持っていて、見せつけるように振りかざしている。僕は窓を閉めると玄関まで降り、踵を潰しながら靴を履いて外に飛び出した。道の途中で二人と出会うと、とじくんは僕と肩を組み、振り回していた何かの紙を勢い良く見せた。小学生離れした背の高いとじくんと、クラスで一番背の低いかなめくんのデコボコさに普通の身長の僕が挟まると、3人は妙な角度で馴染んだ。
夢中で話をする僕らの周りには、くっきりとした夏の木陰が広がっていた。
「おい今日はあの宇宙に行くぞ」と、とじくんが言う。
「そうだ、宇宙に行くんだぞ、いよいよだぞ」とかなめくん。
僕に見せつけたその紙には、幾つかのばつ印と「宇宙」という文字がしっかりと漢字で書かれていて、それぞれがくねくねとした線で繋がれていた。
「嘘だろ、あそこはもう行っちゃダメだって先生に言われたじゃないか」
「それがどうしたっ、お前は行きたくないのか?」とじくんは地図を指でなぞりながらそう言った。
「でもあそこはいつも閉まってるんじゃないの?」
「さっき二人で見に行ったんだけど、開いてるんだよあの扉!」と言って、とじくんは僕の肩を力強く握った。
「お前行きたくないのかよ?!」
「行きたいだろ? 宇宙土管?!」とかなめくんも反対の肩をぎゅっと握った。
以前とじくんは、この地域の海沿いで河口を管理している、河川整備区域のあるひとつの扉が開いているのを見つけ、そこに忍び込んだらしい。そこには工事中の突き出た堤防の壁に巨大な土管が埋め込まれていて、そこに侵入したと言った。その時は見つかってすぐに大騒ぎになり、係りの人につまみ出されたらしい。とじくんが言うには、その土管の奥は宇宙図鑑に載っているような漆黒を埋め尽くす無数の星が瞬いていて、その係の人は何度も「見るな!」と怒鳴っていたと言うのだ。僕らはその話を校庭の巨大な楠木の下で聞いた。そのとき僕とかなめくんは「ほんとかよ?! それ宇宙じゃないか!」と興奮しながらとじくんに詰め寄った。その次の日も、そのまた次の日も、僕らはその楠の下に集まってその話に夢中になり、その土管の中を見に行く計画を立てた。しかし、何度かその扉まで行ってみたものの、いつもしっかりとした南京錠で扉は閉じられていた。
河川整備区域に忍び込んだことで学校に連絡があったようで、とじくんはすぐに職員室に呼び出され、担任のきんにくの前に立たされた。その担任の名前は金原といって、いつも臭い何かでペタっと髪を撫で分けていた。どんなに寒くてもTシャツの袖を肩の上にぐるぐると巻き上げ、睨みながらぶっとい腕の筋骨を見せびらかせるような奴だった。「きんにく」僕らはその先生のことをそう呼び捨てていた。
僕が転校してきてすぐの頃、まだ学校にも慣れていないある日、忘れ物を取りに慌てて廊下を走っているところをこのきんにくに見つかって、勢いよく肩の上に担がれたことがあった。「やめて! ごめんなさい」 と叫んでもきんにくは周りの生徒に「廊下を走るとこうなるぞ」と怒鳴っていて、なかなか降ろしてはくれなかった。僕は恥ずかしさと恐怖心で、泣き出してしまったのだ。ようやく降ろされると僕は力なく座り込んでしまった。きんにくはいつものようにTシャツの袖を巻き上げながら気味悪く笑うと、髪をなでつけながら去って行った。そのとき、きんにくと入れ替わるように駆け寄ってくれたのがとじくんとかなめくんだった。「おい大丈夫か?」二人は僕を立ち上がらせ、落ちていたランドセルを渡してくれた。その時のとじくんの鋭い目は今でも忘れられなくて、「いつかおれが仕返ししてやるからな」ときとんにくの後ろ姿を睨むようにそう言った。かなめくんもその言葉に続くように「仕返ししてやる」と言った。二人も前に、何度か同じ目にされたことがあったらしい。話を聞くと、きんにくに担がれた被害者は、学校中で僕ら3人だけだった。その日から僕らは、いつも一緒にいるようになった。
校舎の入り口のあたりで職員室に呼び出されたとじくんを待っていた。しばらくするととじくんはうつむきながら現れて、僕らには気づかず走り去って行った。僕とかなめくんは、その時のとじくんの悔しそうな表情を見ると追うこともできず、ただその姿を見送ることしかできなかった。
次の日の朝、とじくんはいつもと同じように自信満々の瞳で僕らを見下ろすように現れた。
「おはようだな」とかなめくんがとじくんに言った。僕はその後ろで隠れるようにしながらとじくんを見ていた。その申し訳なさそうな僕の態度を見て、
「お、お前たち見てたのか? ああー、あれな……」とじくんは天を仰ぎ照れ臭そうに頭を掻くと、ランドセルを「どさっ」っとおろした。
「昨日きんにくに何か言われたのか?」とかなめくんが言う。
「うん、土管のこと怒られた」
「あいつほんとむかつくよね? 怖くなかった?」
「怖いわけあるかよ、あいつのことずっと睨んでやった。そしたら『もう帰っていいぞ』とかいって何も言えなかったぞ」
「さすがとじくん! やるなあ」とかなめくんはとじくんのお腹にパンチを当てるそぶりを何度もした。とじくんは腕に握りこぶしを作りながら「ガハガハ」と笑った。しかし、学級委員の吉崎さんが教えてくれた。吉崎さんは日誌を金原先生に届けるために職員室に行くと、とじくんは天井を見上げるように大声で泣きじゃくっていた、ということだった。容赦のないきんにくのことだ、それくらいは想像がついた。誰だってあの筋肉を見せつけられながら怒られたら、泣いてしまうに違いない。二人は学校でいつも問題を起こす目立った存在だったから、そんな風にいつもきんにくから職員室に呼び出されていた。
ある日学校が終わったあと、校庭の大きな楠木の下でとじくんとかなめくんを待っていた。二人が僕の目の前まで走ってくると、目をくりっとさせいたずらそうに、「面白いものを見せてやるぜ」と言って仁王立ちで立ちふさがった。
二人に連れられて行ったのは夕方の繁華街の怪しいビルだった。周りにの店はほとんどがシャッターを閉めていて、通りも閑散としていた。とじくんがビルを見上げると何かを確認し「よし」と言った。
「かなめ、そろそろだな?」かなめくんだけが唯一腕時計をしていて、時間を確認すると、「あと5分くらい」と言った。とじくんはあたりを見回すと、反対側のビルの入り口を指さし、「あそこだ」といって3人でその入り口の陰に隠れた。またかなめくんはまた時計を見た。「かなめ、あれを貸して」とじくんがそう言うと、かなめくんがランドセルから小さなカメラを取り出した。電源を入れると妙に大きな機械音が鳴った。とじくんは「わ、ばか、静かにしろ」と言って慌てていたが、妙な緊張感のせいなのか、吹き出しそうな笑いを必死にこらえていた。それを見ていたら、僕もつられて笑ってしまい、慌てて口を押さえた。
とじくんが狙いを定めていたビルの入り口の明かりがチラチラと動くと、何者かの姿が現れた。それはやたら体格のいい女の人……、おばさん……? え? えーっ! 僕が思わず叫びそうになると、真剣な顔をしたとじくんがとっさに指を口に当て、「しいっ」と言った。そのよくわからない女の人はあのきんにくだった。とんでもないことが起きたんだ。そう思うと僕の足はガタガタと震えだした。かなめくんは両手を口に当て、声を絞るように笑っている。とじくんは変な角度に腰を曲げてお尻を突き出すと、必死に狙いを定めシャッターを押す。僕は手を口に当てながら振り絞るように、「きんにくは女だったんだ?」と聞くととじくんが「ばか、女じゃねえよ、女に変装してんだっ」とそう言ったとじくんも笑いをこらえきれず身をよじりながらシャッターを押し続けている。まるでおしっこでも我慢してるかのように。きんにくは、赤い髪のかつらをつけ、丈が短くて袖のないヘンテコな服をまとい胸をはだけている。か、隠せてない……、きんにくの筋肉は見事に丸見えだった。僕らに見られてるとも知らず、きんにくはくねくねとした歩き方で、ふにゃふにゃと繁華街の明かりの方に消えていった。
やっと笑いの収まった僕らは、急いで近くのコンビニエンスストアで写真をプリントした。そのために僕らは、なけなしのお小遣いを使った。次の日の朝、誰よりも早く学校に行き、そのプリントを目立つところに貼った。髪を撫でながら出勤してきたきんにくは、そのプリントを見つけると、みるみると表情が青ざめていった。腕の筋肉は、いつもよりも膨らんでいるように見えた。その様を下駄箱の陰からのぞいていた僕たちは、何度もお互いの握りこぶしをぶつけ合った。
しかし運悪く、僕らがその写真を貼ったところを見られていたようで、今度は校長先生から呼び出されってしまった。しかし僕らを目の前にした校長先生は、一言も起こることなどもせず、逆に「君たちの話を聞かせて欲しい」と言った。僕らは何が起きたのか理解ができなかったが、とじくんは何かを言いたそうにしている。すると校長先生は、「その話が聞きたいです」ととじくんの肩にトントンと触れた。とじくんは堰を切るように、身振り手振りで宇宙土管の話をした。校長先生は「うんうん」と言って身を乗り出すと、「私も宇宙は大好きだ」と言った。
僕らは大きな声で校長先生に挨拶をして部屋を出ると、窓の外には青くてどこまでも澄んだ空が広がっていた。僕らはしばらく何も言わず、その空を見続けた。
二人が開いていると言っていた扉をくぐり抜けるために、僕らはその地図を持って河川敷整備区域に行った。行くとなぜか扉は閉まっていて、前と同じように南京錠ががっしりとかかっていた。おそらくたまたま二人が見たときにだけ開いていたのだろう。とじくんは悔しそうに何度も何度も扉を蹴飛ばした。
結局僕らはそれからも、夏休み中何度もその場所に行ったけれど、その度に扉はしっかりと締められていた。そんなことを繰り返すうちに、僕らの好奇心は次第に別のことへと移り変わり、忘れていった。空には夏の終りを告げるような淡い雲が、涼しげに漂い始めていた。
完
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