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【作品タイトルのつけ方】タイトルで見る人の意識を心の奥へ導く 

スキル

作品タイトルはどのような意味を持つものなのか

アート作品には必ずそれぞれタイトルというものが必ずあります。

題名ですね

作家として制作を始めたての頃は、どこか気恥ずかしかったり、考えるのが億劫でどうしても「nontitle」としてしまいがちです。
デビュー前などの作家さんなどにはよく見る、ブランクタイトルです。
しかしそれはとてももったいないことだなと感じています。
作品タイトルとは、作者と鑑賞者とのとても大事な「コミュニケーションツール」だと私は考えています。

作品タイトルはつければいいわけではない、逆効果もある

失敗例から言うと、とにかく何かをつけなくちゃ、といってその作品からキーワードを拾って付けたりしたことありませんか?

例えば、りんごの素敵な静物画を描いたとして、それなのに
タイトル「りんご」
などとしてしまうことです。
せっかくの想いで描いたアートを、自らタイトルで説明してしまう。
そのビジュアルに引き込まれようとする心の動きを完全に阻害してしまいます、これ以上この世界に入ってほしくない、人は無意識にそのような疎外感を受け取ってしまいます。
作品をタイトルで説明することは、できれば避けたほうがいいと思います。

作品に自信があり、ビジュアルだけでその世界に引き込める力があるからタイトルなどいらない。
と思う作家さんもいらっしゃるのかと思うのですが、人にはビジュアルだけでは引き込みきれない「心の奥の思い」があります。
鑑賞者がその作品に足を止めたということは、描き手と見る側で何かしらのコミュニケーションが起きた。と考えていいと思っています。
それはまさにビジュアルの力。ということですね。
そこから先は、鑑賞者はさらに情報を求めます。
例えばその絵のモチーフや色使いや筆のタッチなど。
デジタルなら作家がどのように手を動かしたのか。など。
鑑賞者は無意識にそのように絵の中を歩き始めます。
それと同時に、自分の心の中への旅も始まるのです。
その旅の道標となるのが、作品タイトルです。

このときりんごが描いてあるからといって、タイトルが「りんご」ではその心地のいい心の旅から目が覚めてしまいます。
それは見たらわかるからです。
見たらわかる情報を鑑賞者は必要としません。
むしろ余計なものだと思う場合が多いでしょう。

作品鑑賞で大事なのは、「感情です」

見る側は描き手の感情を探ります。
作者の思いを想像したり、自分に置き換えたり。

そこで目にするタイトルに描き手の心の中が表現されていると、見る側は共感できるのかできないかの判断ができます。
その時その作品が好きなのかどうかの決め手になります。
感情が言葉となっていると、見る側の心の旅はとても豊かなものとなります。

感情といっても「怒り」だとか「悲しみ」ではなく、言葉、そしてストーリーとなっていたほうが、自然に鑑賞者の心は動くはずです。
例えば、「何も思い出さなくてもいいと思った」とつけたとしましょう。
絵には壮大な海の風景が描かれていたとします。
そこでこの作品を説明するようなタイトル、「大きな海」などでは完全に完璧な説明ですね。
タイトルで絵を説明してしまっています。

前者のタイトルでは何かしら描きての感情が含まれていると思いませんか?
何を思い出さなくていいと思ったのだろう。
この景色は作家にとってどんな風景だったのだろう。
自分も小さい頃どこかの景色を見て、何か心が動いたことはなかっただろうか。
などと感情が言葉となっていると、見る側は自分の心の奥へ奥へと導かれていきます。
では次に描き手の目線からの解説をしていきます。

作品タイトルのつけ方で、見る人を心の奥深くへと導く

私はデビュー前からタイトルについてはしっかりと時間を使い考えてきました。
タイトルを付けるときは必ず、その作品を描いた時、その作品の中に自分がいるとした時、その作品を自分が見た時、その自分の思考のもっともっと心の奥にある、小さな感覚や感情の動きなどを慎重に探ります。
その時に思い浮かぶインスピレーションをうまく捉え、それを言葉にし、タイトルとします。

実際にタイトルをつけてみる

例えばこの作品について。

「ある夏休みの朝に考えたこと」

というタイトルを付けました。
そしてもう一つ、作品に対しては小さなストーリーをつけています。
これは私が独自にしていることなのでご参考程度に。

見る人の意識を心の奥へ降ろす作品タイトルのつけ方
title_「ある夏休みの朝に考えたこと」

《 ストーリー 》
————————————————————————————
✦ある夏休みの朝に考えたこと✦
今日は友達と、海岸のそばの大きな松の木がたくさん生えている公園へ遊びに行こうと約束をしていた。
朝早く冷蔵庫を開け、お母さんには内緒で僕は自分でお弁当を詰めた。
卵焼きが3切れあって、あとは白いご飯にふりかけをかけた。
お母さんが作ったおかかとゴマがたっぷり入ったふりかけ。
そのお弁当をいつもの青いリュックサックに詰めて僕は家を出た。近所の小さく盛り上がった土を集めた場所で待ち合わせた。
友達は少しだけ早足で歩いてきて、斜めに水筒を下げていた。
「やあ」
そう言った友達の表情はいつもとは少し違って、真剣な目をしていた。
「行こう」
そう言った僕の声は自分でも違う誰かの声のようだった。

僕らは小走りで公園へ向かった。
川に沿った道を歩き、神社の鳥居をくぐり、壁に彫刻のある家の角を曲がった。海岸はもうすぐだった。
大きな国道を渡らなければならなくて、歩道橋を渡った。歩道橋の上からは、もう既に海岸の波打ち際も見えるくらい近くて、僕の胸は高まった。

僕らは一気に階段を降り、いつもの細い道から公園に向かった。
見上げると、もうすぐそこに大きな松の木が見えていた。
————————————————————————————

これが私がこの絵を描く時に思い描いた記憶のような情景です。
タイトルは、この絵を味わいながら、この世界に自分入ってみたり、または実際に自分の目でこの絵を鑑賞したり、その時に起こる心の内側の感覚を少しでも多く感じていきます。
そこで生まれる感覚を言葉にし、タイトルとしていきます。

作品タイトルからイメージを掴む

ストーリーはフィクションですので、このようにリアルな光景が思い浮かぶわけではありません。
しかし、この絵を感じることで浮かび上がってきたイメージばかりです。
小さなイメージの断片を捕まえ、その小さな感覚を膨らまし、言葉にしていきます。
そのイメージを膨らませるという感覚は、連想とはまた違い、あくまでもその感覚からさらにインスピレーション、直観を感じていく。ということです。

「海」というモチーフ → 「空」と言う言葉 

海から連想できるような「空」という言葉は、思考から浮かんだイメージの可能性が高いでしょう。
しかし、何度も何度も「空」と言う言葉が思い浮かぶのであれば、その言葉はインスピレーションかもしれませんね。
言葉を思い浮かべたあと、その言葉は連想かな?と思ったら、また心をまっさらにし、作品やモチーフを思い浮かべます。
作品を見ても目をつぶって思い描いても構いません。

「海」というモチーフ → 「手をつなぐ」という浮かぶ言葉

このように一見関係のないような言葉がふと思い浮かんだのなら、それはインスピレーションの可能性が高いでしょう。
そのような言葉が思い浮かんだら、その言葉を噛み締めながら、再び海のモチーフを眺めたり思い描いたりしてみましょう。
そのときに、胸がぎゅっとなる。とか、お腹のあたりが温かくなる。など、身体的に反応があるのであれば、それはさらに深い心の奥からのメッセージかもしれません。
その身体的な感覚をじっと感じながらその言葉を思い浮かべていると、必ず癒しが起こります。
これは作品を作るものだけに起こるのではなく、その作品とその言葉に足を止めた人にも同じような癒しが起こるでしょう。

インスピレーションや直観は、適当なものではなく、もっとも自分の本心が隠れている大事な要素です。
頭を無にし、浮かんできてイメージを掴み取りましょう。

作品タイトルを重視しアートを鑑賞する人には何が起こるのか

あくまでもこれは一つの例でありますので、基本的には見る人ごとにアートの鑑賞方法はあると思います。
作品を見る中で、「この作品はなんなんだろう?」という感覚が起き、その作品の前に足を止める。
そこで自分の内側では何が起こるのか。
その足を止めたという事実は、その作品が何かしら自分の忘れていた記憶の蓋をノックした。という意味でもあります。
そのとき、作品のタイトルも含めて鑑賞することによって、自分の胸の中の感覚など身体感覚に耳をすませながら、内側から湧いてくるインスピレーションを捉えます。
そのインスピレーションから一番思い起こさせられるのは、小さい頃などにあった楽しかったことや嬉しかったこと、または悲しかったことなどの、忘れていたような遠く昔の記憶が含まれることが多いはずです。
そのように、作者と見る側で同じような癒しが起こることが作品タイトルの持つ力です。

自分だけが気に入った作品との出会いで得られること

自分が思わず足を止めた作品には、小さい頃などの忘れてしまった記憶などを読み起こさせる力があります。
※その作品が評価されているかどうかなどは、一切関係ありません。
作品タイトルを合わせて鑑賞することによって、心の奥を感じ、どのような記憶が蘇るのか、自分の身体の中の感覚などを繊細に読み取ります。
そのタイトルを含めたアート作品から感じられた想いは、自分の抱えきれないネガティブな苦しさの思いであったとしても、今の自分と統合して癒してくれます。
統合というとわかりにくいかもしれませんが、自分の持っていた記憶の解釈が変わる。と言った方がわかりやすいでしょうか。

どうしても今まで拭いきれなかった、抱えきれないネガティブな思い。
なぜか、人とうまく接することができない、
なぜか、仲良くなると自分から離れようとしてしまう。
なぜか、誰から言われても辛いと思ってしまう共通の言葉がある。
そのように原因はわからないけれど、自分を苦しめてきた想いは、誰もが持っているのではないでしょうか。

目の前の悩み自体には意味はなくて、自分でも忘れてしまったような記憶の中にこそ、その悩みの根本原因が隠されていたりする場合が多いです。

例えば、
小さい頃いつも親にあんな酷い言葉を言われ続けていた。
小さい頃親にこんな風にしなさいとしつけられていた。
それらが自分が納得できないことであったとしても、親からの影響を受け続けるうちに、いつの間にかそれを自分の価値観として自我を形成してしまう。
それらも親が自分にかけてくれた愛情である場合もありますが、自分の受け取り方によって、自分らしく生きていくことを阻害してしまうことはよくある話です。

今は忘れてしまったけれど、その小さい頃親から受けた影響のプログラムが今でも動いてしまっている。
そのプログラムが、自分の価値をないものとしてしまったり、自分は何もできないと思い込んでしまっていたり。
するとその思いを反映させた現実を作り続けてしまうということが起こってきます。
そのプログラムは止めたくてもなかなか止めれません。
人はそのように、大人になっても自分の中に役に立たない信じ込みを大事に抱えていて、それによって苦しみを作っていく。

しかし、アートによって、その小さい頃の原風景を思い出し、親から受けたその自分らしさを奪ってしまうやり取りよりも、もっと楽しかった親とのできごとを思い出したり、忘れていた楽しかった記憶などを思い出したり、改めて小さい頃の自分の人生をやり直す。

すると心の中に、ああ自分は親から愛されていたんだ、自分は幸せだったんだな。という記憶を上書することができます。
その時自分の心の中を観察すると、胸の奥の方に、暖かいじんわりとする感覚が味わえるはずです。
小さい頃の思い出の解釈を変えることによって、ネガティブな信じ込みは初めて解消されていきます。

思わず足を止めてしまうような作品に出会えれば、自分の力では到底降りていかれないような心の奥深くにまでたどり着けます。
足を止めた作品のタイトルが、作家が自分の心と深く寄り添ったタイトルであるのならば、必ず癒しは起こります。
アート作品を使い、自分の中の生き直しが行われたりするのはとても良くある話です。
現に私も自分自身が作品を制作し、タイトルをつける過程において様々な癒しを経験しています。
私自身は、自分を癒すために作品を制作してきた。だと思っています。

アートは、自身の美術の技術を振る舞う場だけではなく、人の心を動かし、その人が解決できなかった心の問題までも解決する。
それはアートの大きな醍醐味であると思います。

そしてわたしはさらにもう一つ、上記でご紹介したように、作品に対して小さなストーリーをつけています。
これは単なる余興ではありますが、私はより、アートを見ていただく方々に、自分の心の奥まで旅をして欲しいと強く願っています。
そして自分自身も絵の具を塗るだけではなくて、様々なストーリーと出会える喜びもあります。

アート作品や言葉たちが、どこまであなたの心の奥を感じさせてくれるのか、それは見たあなただけが受け取ることのできる、素晴らしい体験になるはずです。

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