「アダム川」と「イヴ川」という心の豊かさについてのお話

2017年1月28日| 記事一覧


誰にでも自分の胸の入り口を覗くと、そこには2本の心の幸せを司る川が流れていた。その川は「アダム川」と「イヴ川」と呼ばれていました。
貧困に苦しむ民は汗水働き、その働いた沢山のお金や収穫などの富を、その胸の入り口に大事そうに入れていった。
そしてお金や収穫などの富をその胸の入り口に入れれば入れるほど、どうしてかアダム川だけが豊かな水を流す澄んだ奇麗な川になっていった。

そのアダム川の澄んだ奇麗な水辺には、沢山の動物達が水を飲みにやってきた。その後は世界中から人々も集まってきた。
人々はその水辺で沢山の話しをした。不思議と動物達とも言葉が通じた。言葉の違いなど関係のない世界だった。
やがてその集まりは街となり、人と動物が手を取り合う豊かな流れの川辺の街となった。

その隣にはイヴ川という川が流れていた。アダム川からもよく見える場所に流れており、歩いてもすぐの距離だった。イヴ川は、アダム川と同じような長さと同じような広さを持つ川だった。しかしイヴ川は水の量は少なく濁り干上がりかけていた。なぜか太陽の日差しまでもがイヴ川を避けているようだった。日も射さないイヴ川は、草木も全く生えない荒野となりかけていた。

動物達はわざわざイヴ川を無視して渡りアダム川の水を飲んだ。
人々はイヴ川に橋をかけてまでアダム川にやってきた。
そして一度アダム川にやってくると人々も動物達もどうやってイヴ川に行けば良いのかわからなくなった。そしてすぐにイヴ川の事は忘れていった。

アダム川に街を作った人々は、長い間イヴ川の存在を忘れていた。
「そんな川があったのか?」
ある日の街ではそんな会話がされていた。
すぐ目の前の距離であったにもかかわらず、イヴ川の存在を誰も気にする事はなかった。
「僕は父にも母にもそんな川があるなんて聞いた事はなかった」
街中を走り回る子供達までもイヴ川の存在に気がつかないでいた。★

ある日人々は、イヴ川がやせ細り枯れてしまいそうな酷い川になっている事に気がついた。もうそれはすでに川には見えないほど干上がっており、地面には沢山のひび割れが見えた。川辺には不格好な大きな石がごろごろと転がり、人々を悲しみに包んだ。人々は目の前の富み豊かな暮らしを楽しんでいた。しかしイヴ川の様子を見るとどういうわけか苦しみや、悲しみ、寂しさを訴える人が続出した。なぜやせ細る川を見てこんなにも辛いのだろう。得体の知れない苦しみに、人々は思い悩み苦しんだ。

人々と動物達は集まり話しをした。
「もっとお金をあの胸に入れてみよう」
と、ある大きな熊が言った。
「そうだこの収穫もすべて入れてみよう」
と、ある商人は言った。
「我々のアダム川はそうしてここまで発展したんだ」
「そうだそうだもっと入れよう、もっと入れよう」
と人々と動物達は、ありったけの富をその胸の入り口に入れた。
しかし放り込めば放り込むほどアダム川はますます豊かになり。そして人々はイヴ川の事をまた忘れて行った。目の前にある楽しさや豊かさに夢中にはなったが、人々の得体の知れない辛さは変わらなかった。イヴ川はますます水の量を減らし、岸には干上がった魚が悲しく打ち上げられていた。
辛く悲しい気持ちを持ちながらも、人々はその原因が一体なんなのかまるでわからなかった。しかしアダム川はますます健やかで作物は豊かな収穫をみせていた。

ある日1人の若い男がアダム川にやってきた。男は人々に話しかけた。
「なぜ向こうの川はあんなに干上がっているのですか?」
「向こうの川、というのは何の事ですか?」
「目の前に見えるあの川のことです」
「目の前?忘れていました。あれはイヴ川といいます」
「なぜ干上がっているのかわからないのです。我々も気になって何度もお金や収穫などの富を、あの胸の入り口に入れるのですが、何の効果もなく日に日に酷くなっていきます」
「我々の住むこのアダム川では、胸の入り口にお金を入れると川は潤うのですが……
「あなたたちは、イヴ川の事を気にしていますか?」
と男は言った。
「ええ、とても気にしています。毎年一回は人々と動物達が集まりイヴ川の事を話します。
「年に一回ですか?」
「そう毎年かかさずにです」
「沢山のお金と収穫をあの胸に入れています。我々のほぼすべての富。と言ってもいいほどの量です」
「そうですか」
男はそう言って人々の前から立ち去った。

男はそれから毎日胸の入り口からイヴ川へ行き、イヴ川を見た。イヴ川がどんな様子でどんな「水」なのか細かく観察した。
そしてイヴ川に向かっていくつも優しく話しかけた。
「こんにちは」
だったり、
「ありがとう」
だったり、とても簡単な言葉ではあったけれど、男はアダム川にいる時間よりもっともっと長い間イヴ川に訪れては話しかけた。

アダム川に戻った時、隣に居た背の低い青年が男に話しかけた。
「噂だとあなたは毎日のようにイヴ川に行っていると聞きましたが、一体何をしているのですか?」
「『関心』です」
「イヴ川に『関心』を持っているのです」
と男は優しい笑顔で言った。
「『関心』?というのは一体なんの事ですか?」
「自分の価値観を手放し、相手と心の関わりを持ちたい。と望む事です」
「わたしにはよくわかりません」
背の低い青年は寂しそうな表情で言った。

男のそんなイヴ川への「関心」が1年も過ぎた頃、イヴ川を見ると小さは花が咲いていた。男がいつも立っていた場所に立つと、川は男の靴を浅く水の中に浸らせた。
男は変わらず毎日何度もイヴ川へ話しかけていた。
「あなたがそこに居る事を私は知っていますよ」
「今どんな気持ちですか?」
と男は言った。
……
川の水の流れが少しだけ変わり、水の色の青が少し濃い青になったように見えた。
「うれしいです」
イヴ川は男へ応えた。
「それはよかったです」
男はイヴ川と話をした。
「あなたが来るまでは酷く孤独で、酷く寂しかったです。沢山の富があの胸の入り口からやって来るのですが、私には合いません。私には必要のないものばかりです。しかしアダム川が実り豊かになるのを見るのはとても楽しく嬉しいです」
「そうですか」
と男はとても優しい表情で、微笑むように言った。
「私がこれからも毎日ここへやってきます」
「それはとてもうれしいです」
「さようなら」
と挨拶をして男はアダム川に帰った。

男は考えた。イヴ川に家を建て、暮らそう。
男はアダム川で街の人間と動物達を集め、イヴ川との会話の事を話した。するとすぐに数人の人間と数匹のやぎと犬が興味を持った。
月が下弦に光を減らした風も穏やかなある日の夜、男はその街の人間数人と数匹のやぎと犬を連れて、男がいつも通るように胸の入り口からイヴ川のほとりへとやってきた。
目の前にイヴ川がある様子を興味深く見渡した、数人の街の人間と数匹のヤギと犬は、
「そうかこの胸の入り口から来れば良かったのか」
と口々にそう言った。
男達は比較的平らな川辺に荷物を降ろし、大きな撒きを集め乾いた小さな枝に火を付けた。男は暖かいたき火を見ながら、数人の街の人間と数匹のヤギと犬に、男がどのようにイヴ川に話しかけているかを説明した。
男は小さな月の明かりを頼りに、数人の街の人間と数匹のヤギと犬でイヴ川の水辺に立った。
「こんにちは」
男は数人の街の人間と数匹のヤギと犬の前でイヴ川に話しかけた。

イヴ川は何も応えなかったが、川面に写る下弦の月の様子が風もなく波に揺られ形を変えるのが見て取れた。
「見えましたか?」
「見えました」
「イヴ川は喜んでいるようですね」
男は数人の街の人間と数匹のヤギと犬に向かってそう言った。
数人の街の人間と数匹のヤギと犬は顔を輝かせた。

日が昇り、イヴ川に辿り着いた人々は目を覚ました。イヴ川とアダム川の源流の先から昇る太陽に、数人の街の人間と数匹のヤギと犬は涙を流した。
「アダム川から見る朝日とはまるで違います。アダム川から見る朝日もとても素晴らしいと思っていましたが、イヴ川から見る朝日はもっと素晴らしいです。こんな素晴らしい朝日は見た事がなかったです」
髭を蓄えがっしりとした男がそう言った。
「今体のどこかで何か感じますか?」
「胸の奥の方がゆっくりと暖かくなったような感じがします」
「それは素晴らしいです」
と男は言った。
「ではそれはどんな色をしていますか?」
「真ん中が赤い色をしていて、周りはオレンジ色をしています」
「それはとても素晴らしいです」
「これは一体何が起きたのですか?」
「あなたとあなたの心が繋がった。という事です」
「これが私と私の心が繋がった。という事なのですね」
「それが自分への『関心』という事です」
「これが自分への『関心』という事なのですね」
すると目の前のイヴ川の水面が少しだけ揺れた。

その日からイヴ川に着いた数人の街の人間と数匹のヤギと犬は、一日中イヴ川に向かい話しかけた。
「おはよう」
と言ってみたり、
「今どんな気分?」
と言ってみたりした。
一言、二言ではあったが、数人の街の人間と数匹のヤギと犬は何度も話しかけた。人々はそれが「関心」だという事を男から教わった。しかしまだ誰もイヴ川の言葉を聞いた者はいなかった。

イヴ川に男と数人の街の人間と数匹のヤギと犬がやってきてから半年が過ぎていた。イヴ川はまだそれほど水の量は増えてはいなかったが、来たときよりも明らかに水が澄んでいるのが人々には感じられた。

それからさらに半年が過ぎたある日、背が高く笑うとえくぼのできる青年が、いつものようにイヴ川に向かって話しかていた。
「おはよう、今どんな気分ですか?」
……
「とても気持ちがいいです」
「とても気持ちがいいのですね」
と背が高く笑うとえくぼのできる青年は、大事な物を見つけた時のように嬉しそうにそう応えた。
「ありがとうまた来ます」
と言って青年は皆の所に戻った。

今までイヴ川の様子の変化には皆が気づき目を輝かせていたが「会話」というものはまだ「男」にしかできてはいなかった。
背が高く笑うとえくぼのできる青年は、皆に興奮しながらこう伝えた。
「さっきイヴ川が応えてくれた」
「とても気持ちがいいです。と」
それを聞いていた人々はとても喜んだ。人々の目が昨日までとはまた違う輝き見せた。
「なぜイヴ川は応えてくれたのですか?」
「それはあなた達がイヴ川へ『関心』を持ったからです」
と男は答えた。

男はアダム川の街の収穫が終わったと知ったある晩、アダム川に戻り今のイヴ川の様子を人々と動物達に伝えた。
慌てて全員がイヴ川を見た。川は満ちていた。水も豊富で奇麗に澄んでいた。草や花が生えている様子が見て取れた。それを見た大勢の人間と動物達が、
「イヴ川に行きたい」
と言った。
男は街の半分の人々と動物達と、収穫された作物を持ちイヴ川へと向かった。胸の入り口を通ってイヴ川にたどり着いた。
人々と動物達は、今まで見た事もないようなイヴ川の潤う光景を目に映した。
人々と動物達は、今まで感じた事もないような胸の奥の喜びを感じた。
全員がそれぞれの方法でこみ上げた感情を表現した。
泣く者、笑う者、踊る者、歌う者、それぞれが皆胸の奥の扉を開けた。

それ以来イヴ川に渡った人々と動物達は毎日イヴ川との会話を楽しんだ。イヴ川はそれからはみるみる潤いと豊かさを取り戻した。

街の半分の人々と動物達と富がアダム川からイヴ川にやってきたのだが、不思議とアダム川の潤いと豊さは変わらなかった。アダム川の人々と動物達と富は目に見える量は減ったのだが、残ったアダム川の人々や動物達が悲しみ苦しむ事はなかった。むしろ今まで感じた事のない豊かな「気持ち」を感じられるようになり、人々と動物達は静かに胸に手を当てて喜んだ。

胸の入り口にどれだけの富を与えてもイヴ川は豊かにならなかった。しかし人々と動物達は変わらずよく働き、そして毎日イヴ川にも関心を持った。それからはイヴ川もアダム川も潤う豊かな心を失くす事はもうなかった。

人々は胸の入り口を通りアダム川とイブ川を自由に行き来をした。
そしてアダム川とイヴ川に家を建て畑を耕した。

動物達は胸の入り口を通りアダム川とイヴ川を自由に行き来をた。
そしてアダム川とイヴ川の水を飲み草を食べた。


以上が「アダム川」と「イヴ川」というお話でした。

これは心のお話です。
心というのは、きっと胸の辺りのずっと奥の方に静かに存在していて、様々な表現をしているようです。自分の本音の中のさらに奥にある本当の本音というのは、その胸の中の感覚に「関心を」を持ちその表現を感じることにより理解できる事なのではないかと思います。

この物語は、心理学療法の中でもとてもベーシックで基本となる「フォーカシング」という自分の心との関わり方の技法について、自分なりに噛み砕いて理解しやすいように創作しました。

胸の中には誰でも二つの心の川が流れています。アダム川には人々はとても簡単に関心を向けられるのですが、しかしイヴ川の事はどんなに心が苦しくてもなかなか気がつけない事が多いようです。今も数えきれないほどの沢山の人々が、気がつかずにイヴ川を枯らし苦しんでいるのではないでしょうか。

「富と名声の豊かさだけ」の時代は終わり、「自分への関心」の時代へ移り変わる時が来たと感じています。

自分が心の奥で何を感じているのか。その奥にある事への優しい「関心」が大きな一歩なのだと思います。

イヴ川を枯らさない「自分への優しい関心」を向けている限り、人々の幸せは壊される事はないと信じています。

垂直のこたつ 山野井泰史さん

2017年1月18日| 記事一覧

ヒマラヤ難峰ギャチュンカンの山影 引用先→http://www.alpine-tour.com/

世界中のクライマーから、いつ死ぬかわからないような無茶な狂った登山の連続に、天国に一番近い男。と言われ続けているクライマー山野井泰史さん。

超速攻型アルパインスタイルと言われる単独無酸素で次々と世界の頂きを落とす姿。こんな陳腐な言葉しかでてこないけれど「カッコ良い!」のひとこと。

その山野井さんのこれまでの登攀記録とも言える名著「垂直の記憶」(ヤマケイ文庫)
山野井さん自身が、いつか登山を辞めたとき自分の登山を振り返りたい。記録したい。というのがこの著書を書くきっかけだったと本文でも触れられている。

淡々と山野井泰史氏本人が自らの登攀を振り返る手記。あまりに淡々と凄まじい状況を描写されており、読めば読む程現実との境目がよくわからなくなり、たびたび脳が揺れはじめる。ぐわわーんと。わわ~っんとね。

私は若い頃していたバイクレース。それを止めてからというもの、穏やかに楽しいイラストの世界に浸るイラストレーターとして生きて来た。けれど、やっぱりあのヒリヒリした緊張感と、競い合いと、己との戦い。そんな命をかけた生活が懐かしくなる。かといってもうあんな世界にはやすやすとは戻れない。がたまに寂しい。。。

話は変わり、わたくしは誰もが認める(人が居るのかはわからない)部屋登山家。なんすかそれ?まぁなんてことはなく、部屋で名だたる登山家達の足跡や手記、映像や写真などを楽しむあれ。あれってなによ!?わたしはこんな危険や苦痛苦労はとても受け入れられない。のでそんな見聞だけでも十分山と一体になれるあの感覚。とても心地いい。家でこたつに攀じ入りちゃんちゃんこでも着ながら見てるだけですからね。そりゃ心地いいわけです。

古い新田次郎の山岳小説や、8000m峰14座制覇の竹内洋岳さんの映像など、はたまた山岳漫画など、楽しめるアイテムはいくつもいくつも。その私に特に欠かせないアイテムが、冒頭紹介させていただいた山野井泰史さんの著書「垂直の記憶」

この著書はご本人自ら執筆。山野井さんご本人の人間性もかいま見れる。文字を運ぶリズムや言葉の置き方。雪山の様子や遭難スレスレだろう心臓の鼓動、吹雪の音まで聞こえそうなこの描写。おもわず極まって「おれは生きている!」とテーブルの上のネコに叫ぶ。ネコ良い迷惑。人爽快。

その著書の中で、特にヒマラヤ難峰ギャチュン・カン登頂に関する手記。なんとか山野井氏本人は登頂を終えたものの、その下山中に起きた壮絶な遭難事故。極限状態により視力が一時的に奪われるトラブルに陥り、さらにクライミングパートナーである妻妙子氏(も世界的なクライマー)の命の確認もできぬまま、絶壁を降りる為に必要な小さなひび割れを、長い時間凍った岩場を素手で探る。どの指が生活で一番使わないか。そう考えてまずは左手の小指で凍った壁を探り、1時間かけてひび割れを一つ掴む。そして小指の感覚がなくなり後戻りできない凍傷を追う。そして今度は右手の小指でまた1時間探る。。。そうしてクライマーの命でもある指を一本ずつ凍傷で失いながら少しずつ岩場を降りていく。命辛辛なんとか二人で無事に下山。掲載されていた入院時の写真ではお互い凍傷で鼻も指もまっくろ。鼻も凍傷になるんだ。と初めて知る。

そしてそんなクライマーの命である指を何本も失いながらの最悪な遭難に対しての氏のコメント「とても良い登山だった」そう言い切った。その恐るべきマインド。とことん自分が好きな事へ取り組めるとそんな心境になれるのだろうか。そんな山野井泰史さんのクライミングへの強烈な思いを過去の登攀記録とともに本人が静かに語るクライミングドキュメント。これは必見!必見過ぎて読んだ本を人にあげてしまう。

普段の生活では味わえない、ギリギリの命のやり取りが淡々とした文章から読み取れる、貴重な記録。読めば読むほど山になんか行きたくなくなった。ベースキャンプ「こたつ」から出られなくなった。みかん追加ね。

本の中で山野井さん親子のエピソードとして、独学でクライミングの知識も乏しい青年期の泰史が山で大けがをした。父親は山を降りろと言う。しかし泰史は「おれにクライマーをやめろというならおれを殺せ!」と叫ぶ。

山野井さんの何かのインタビューで、初めて岩を登ったあの日からずっと発狂状態なのだそう。攀じる事に取り憑かれと言えるかもしれないが、そこまで何かに夢中に人生を捧げられたらそれは幸せという以外ないのではと心の底から思うのです。

やりたくない事を率先して取り組み、やりたいことをやるなんて贅沢だ。そんなマインドがこの日本を覆っている気がしてなりません。本来人間の人生は好きな事をする。ただそれだけだと思うのです。自分自身の心を傷つけない本気な好きな事。そんな欲望にじりじり心動かされる夢中は、人の人生を救い、幸せにもする。私はそう信じ、今日もこたつで名著なページを開く。ああ良い湯ね。

しかし猛者の魂をこれでもかと惹き付ける死と隣り合わせのクライミング。しかしその峰々には彼らクライマーにしか体験できないそんな優しい風がきっと吹いているのだと思う。そんな風を感じながら彼らは8000mにも及ぶ宇宙へと旅立つのではないでしょうか。そればかりは部屋のこたつでは感じることはできない、登った者の特権。と思いふと窓の外を見ると、冬支度の桜の木の枝に一つまた一つと小さな雪が落ち積もり始める様が見て取れる。

ヒマラヤに降る雪も庭に降る雪も物質としては大差はないだろう。そう思うとますますこたつから愛をこめたくなるのです。

宇宙に近い頂上で彼らはどんな風を感じるのだろうか。部屋登山ベースキャンプこたつより。

☆ひきこもりおじさんのはな垂れ相談室♡「さちこの狂気遍」

2017年1月17日| 記事一覧

ひきこもりおじさんもたまには外でビールを♪

★ひきこもりおじさんのはな垂れ相談室♥
今日は静岡県熱海市のたかしくん(10さい)からのお便りだよ。

ひきこもりおじさん(以下:ひ):たかしくん今日はどうしたんだい?
たかしくん(以下:た):がっこう で いつも きぶんや の さちこちゃん が、いえ で おや に おこられたのは ぼく のせいだって、ここ はんとし くらい まいにち にらんで くるんだよ。ぼく もう がっこう になんか いきたくない よ、どうやって あやまれば いいんだろう。おしえてよ ねえ ひきこもり の おじさんー。この はなたれ くそおやじ!

ひ:たかしくんそれは辛かったね。たかしくんがいつも楽しみにしてる学校がそれじゃ台無しだね。ただくそおやじなんて人に言っちゃいけないぞ。じゃひきこもりのおじさんが良い事教えてあげYOU。

た:せっきょう くさいし、さいごのYOUがとっても むかつくよー。

し:黙れたかし。たかしくんはさちこちゃんに何かしたのかい?

た:うううん、だって さちこちゃん は ちがう がっこうだし、ここ 3 ねん あったことも ないよ。それに そんなこ、ともだち だったかなって きおく すらないよ。ぼ、ぼく、の、のあたまが、が、おか、おかし、しいのかなぁーえーんえーん。おえつ…

ひ:たかしくんそれは…、人間関係以前の問題かもね☆ま、それは置いといて。

た:おくなんて ひでーよ、☆とか つのだ なんとかかよ、この くそじじい!

ひ:そう子供みたいに怒るなよこのくそめがね!けっ。

た:めがね なんか かけてねーよ!たのむんじゃなかったよー。

し:いいかい、よーくおじさんのこのはなたれを見てごらん、ほら汚いだろ?

た:え?はなたれ?ぎゃははは、もう くそじじい まじきたねー。まじ ぶっとばしたいよ。ぎゃははは。

ひ:たかしくん、今のはなんだい?

た:え、まじ きたなくて おかしくて、はら の そこ から ほえるように、ないぞう はきだす のかとおもった くらい わらったんだよ。え〜、おこったの?おじさん も はんとし くらい ぼく のこと にらむの?

ひ:たかしくん、それだよ!そう、とにかく人はね笑うのが大事なんだよ。笑うとどこかすっきりした気分じゃない?嫌なことがあった時は、そんな睨むような友達かどうかの人を気にするより、自分が心からリラックスできる仲良しの友達に会いに行って、腹の底からはらわたが出るくらい笑ってごらん。

た:でも、はら の そこから、ないぞう はきだす くらい わらえる ネタ なんて そうそうないよ。おじさん の きたねー はなたれ みたら わらうけど、にどめ じゃ そうそう わらわねーよ。また きぶんが おちこんで きたよ、ぼく もう カブトムシ なんて なつやすみ に とりに いかないよ。えーんえーん。

ひ:よしじゃ、ここからが本番だよ!れっつとらい!

ひ:まず、さちこちゃんが怒っているのはさちこちゃんが親に悪いことをして怒られたからだよ。それはわかるね?

た:うん わかる だって こころあたり ないし、だって さちこってだれ?って かんじだもん。

ひ:そう、おこられたのは親に悪い事をしたきょうこちゃんのせいで、たかしくんはなにも悪くはないんだよ。さちこちゃんが睨むのは自分が気分が悪くて誰かを睨んで発散させたいだけなんだ。でもそれだとさちこちゃんは何も発散できなくて、余計気分が悪くなってるんだ、だからまずそういう相手に近づかない、相手の気分は相手のせい、相手の悪い気分で自分の気分を害されるのは間違っている事なんだよ。逆にたかしくんの悪い気分でも相手の気分を変える事はできないんだよ。

た:そっか、ぼく の せいじゃないし、あいて の わるい きぶん で ぼく の きぶん を かえる ひつよう はないんだね。ついつい、ぼく が わるいこと しちゃったんじゃないかって おちこんじゃったよ。なんか ともだち だから わるいきが しちゃって、あいて に ちかづき すぎちゃったのかも。

ひ:あともう一つこれはもっと大事だけど、さちこちゃんにもし会えたら、おいたかし会った事ねーとか言うなよ、そしたらこうはっきり言うんだ「さちこちゃん、僕は君に何もしてないし、にらまれる覚えはないよ、こんど睨んだらまじぶっとばすよ」たかしくん最後のは余計相手の火種を刺激するから、それは言わなくていいよ。言うなよ。でも自分が悪い事してないのに睨まれるなんてあってはならないよね。理不尽な相手に思った事を言うのは何より自分の為に大事だからね。言わないとあとでずっともやもや悩んじゃうからね。がんばってれっつとらい!

た:なんか いえそうな きが してきたよ、それにもう、にらまれても きにしない ように できそうなきがしてきた!もう こうやって もやもや なやむの は ほんと つかれちゃったよ。それ に くらべたら きっと いえそうだよ!

ひ:よかったねたかしくん、あたまで考えるのも大事だけど実行するのはもっと大事だよ。失敗も成功も自分の経験になるし、言えたらそれはもう失敗じゃない!その成功を一つ一つ経験して行くのが人の成長だよ。

た:ありがとう、しごと も ないのに いいこと いうじゃねーか、でも しっぱい したら その あほづら ぶっとばしに くるからな。

ひ:言ったな〜、こら〜まてよ〜。

た:くんな ひきこもり!しごとしろ〜。

たかしくんまずは元気なってよかったね、きっとうまくいく!

今日の大事なポイントは1:相手の感情と自分の感情はまったくの別物。相手の悪い感情で自分の感情が変化してはいけないし、自分の悪い感情で相手の感情を変化させるのはそれもいけないこと。2:思った事を相手に伝えるのが何より大事、言えないままだと自分の心が苦しくなってくる。

それでは明日もいい気分で。
おいたかし、そのブタメン喰ったら帰れよ。

拝啓、イラストレーター辞めました
最終話

2017年1月13日| 記事一覧

そして僕は風景が描けなくなった。いや自分を癒す為に描く必要がなくなったのだ。それに気がつくと、しがみついていた風景への想いは自然に肩の力が抜けていった。
ずっと気がつかず、過ぎ去ったものへの執着にも似た取り組みを今手放すと、絵を通して自分を癒す必要がなくなった。
癒そうと思い取り組んでいたその風景への想いは、小さな水滴を落としながら遠く高く階段を登り、そしてなんとなくそこに居る気配を残しながらも見えなくなった。(キザだなおい)なんとなくで十分だった。それで精一杯だった。。。

自分のイラストへの取り組みの大部分をしめていた、その風景への想いはもはや過ぎ去ったもの。いや過ぎ去ったというより解脱?悟り?に近いのでは?
今世(こんせ)でやり切った。
カルマを燃やし切った。
そして憂いもなくなった後、晴れ晴れと来世に向かう道を歩き出した。(大げさだ)
そんな気分だった。しかしそこまでの気もちになったのはもう少し後の話だが。。。

僕はまた大きな階段を踏み外す。
あんなに沢山の手順を踏み、間違えないように慎重にカードを引き、確認し手元から外していく。それが出来ていた後に訪れたのはさらに絵に対する歪んだ執着だった。正確にはそれを感じられてはいたものの、理解できてはいない事だった。

僕が侵した大きな間違え「何が描きたいか。ではなく何が描けるか」悩みに悩み何を描きたいのか解らない旅。何が描けるかを探す旅。それは自分が足を踏み入れてはならない世界だった。そこは技術で勝負しなければならない戦国武勇の世界だった。廻りを見ても大御所、脚光を浴びている人を見渡しても腰が抜ける程絵をうまく描く手練猛者だらけの世界だった。
しかしふらふらと幽霊のようにこの職業を続けてるあまり、判断能力は著しく低下、視界不良。もはやレーダーを失った飛行機のようにあっちへふらふらこっちへふらふらなフライトを続けるボーイングわたし号。

気が向くもの色々なタッチやモチーフ、スタイルを試す。(塾で何をおそわったのか。このたこっ!)それなりにこの仕事も長く携わり、絵という物をそれはそれは毎日考えて来た。そうするとある程度骨になる部分を作るコツがわかるとそれなりの見た目だけの絵は描けていった。しかしそんな絵で通用するわけがない。思いついたような絵で勝負できる甘い世界ではない。。。

何を描いても、どれを描いても、それなりに満足感も得られた。楽しいと思える絵も描けた。けれど描いた絵の満足感、楽しさはそれほど長くは続かなかった。

このタッチで描こう、「うんこれいける。これずっと描いて行こう」
ハネムーン期。
そしてすぐにこれじゃない期到来。
もうあなたとは終りね。バタンっ(ドアをしめて出て行く)

次のタッチ、「うんこれいける。これずっと描いて行こう」
ハネムーン期。
そしてまたすぐにこれじゃない期到来。
もうあなたとは終りね。バタンっ(ドアをしめて出て行く)
デジャブ。。。

……

気を失う。。。

チュンチュン、チュン。。
「こ、ここはどこ?」
「ここはあきらめの国ワンダーランドよ」
と囁いて来たあきらめ田あき子さんというメイドさんが僕をいざないに来た。
躊躇なく宇宙の彼方までぶっとばす。
「え~、そんな~、んな~、な~なー…」

あきらめなんかそんな引き出しもってないのよイラストに関して。わたし。
これだけ苦労して、これだけ努力して、これだけ実績(自分なりの)残して。それに絵はほんとうに大好きなのよ。わたし。ねえ。

それでもまだ気がつかない。制作意欲の燃料ももう底を突いていた。そして気がつかない期はまたさらに過ちを犯す。

地元からちょっと数街離れた街で施設グラフィックのデザインを手がけるデザイン事務所のデザイナーさんに声をかけてもらったのだ。とても良いお話だった。途中までは過ちでも間違いでもなくキャリアの積み重ねになる出会いだった。
「描いてほしいイラストきっと沢山あると思って。そして地元の方がいいなと思い連絡しました」
僕はこれだ、これが僕のほんとうに長くつづくポジションだ。
確信した。しかし決定的にイラストレーターとして大きな物を欠きながら。。。

依頼を受けた施設関係のイラストはとてもやりがいのある物だった。
しかし要求されるレベルはとても高い。
沢山の要望を依頼を受けて取る組むも、到底僕では完成できないであろう項目もいくつも。
その都度僕は冴えないラフを何度も出さなければならず、帰って来る赤の山に心がぽきぽき折れた。
おれの心は三節琨~あなたのは~とにとっぴんぐ~♪いかようにも折って頂戴お好きな所で。おりほうだ~い。
めげた。もうめげてしまった心の底からめげてしまった。。。

この頃はもう生活にも仕事にも疲れ切り、精神的にもどん底に居た。(今もまだもがきの五里霧中なのだけれど)

せっかくのお話や依頼も期待を裏切る結果になったと思う。
そして完全に自分のキャパを何もかもが超えてしまった。
出来ない事をこれでもかと無理矢理やろうとしすぎてしまったのだ。
出来るわけがない、自分がもともと目指していたのはシンプルなパーツだけで完成し、心の世界がのぞけるような心象風景な世界なのだから。

いくつかの案件を迷惑かけっぱなしでこなし、命からがら納品。の日々。。。
とうとう何もかもが底を尽きたときあるひらめきが降りてくる。

「イラストレーターを辞めよう!、この仕事をやめよう!」

は、なんだ、この感覚!辞めよう?辞める?このわたしが?!え~~~~。
もう声はうわずり、そこかしこで人々は踊り、酒を飲み、歌を唱った。そしてニヤニヤと深い眠りに付き、翌朝昇った朝日は向かいの家の小さなお花の鉢植えを明るく照らし、小鳥は楽しそうにさえずった。

仕事をやめるという選択は、きちんと会社に雇われていたものの、わき上がる別職への希望に満ちあふれ、もしくは嫌で嫌で仕方がなく、けれど家族のため家のローンのため働いて来た。けどそれは自分の人生じゃない。自分はやりたいことをやるんだ。そんな方々だけが得られる選択の悩みかと思っていたようだ。どうやら。

わたくしの場合は好きで始めました。とってもとっても努力しましたが、なんとか軌道にのりました。仕事は絵を描くだけの作業です。好きな時に起きて、好きな時にご飯食べて、好きな日に休みます。お金はバイトするなんかより、下手したら中小企業に居た頃より断然稼げている。
おれって幸せか?幸せなのか?こんな優遇ないよね~。ぷか~。遠くの箱根の峯の向こうに見える富士山をみながらエアー一服。
そんな優遇されてる人間が持てる発想では到底なかった。。。

「え~、辞める~???辞めるって選択なかったわ~、それなかったわ~」
僕は腕を組み居間をぐるぐるぐるぐる時計方向にひたすら回りながら、独り言のように言い続けた。
それを見ていた娘は「ぱぱあっちいって~」
じゃまだった。

「しゃばだばしゃばだばほうれんそう」
なんだそれ?頭壊れたのか。あまりの思ってもないひらめきに意味の分からない呪文のような物まで吐き出し、もうちっさい頭脳みそCPUは暴走した。
そのCPUは熱を帯び、軽快に廃熱ファンを高らかに鳴らせた。「ぶ~~~ん」あの耳障り。

とにかくイラストという存在の中いる自分が何をしようかずっと考えてきた。
忙しかった時代数年は何も考えなくてよかった。

しかし依頼を受ける度には
「よっしゃこい!」
ではなくて

「え~~~できな〜〜い」
としか思わない時期はわりと当初からだったのかも。。。

高く高く飛ぶとんび。あれくらいいかれるのかなって微かな期待もあった…。

いくら好きで始め、なんとか軌道には乗せれたけれど、もう何もかもがキャパオーバーだったのだよね。
まったく気がつかなかった。気がつかなかったというより、見てみない振りしてたのだ。いやそうじゃない、ちがうちがうそおじゃなあ~い。鈴木雅之ばりにそうじゃなかったのよ。けど見てたのよ、自分でしっかりそのキャパオーバーみてたのよね。確認してたのよね。
でも見ないふりしてました。
「それは他人事」

そんなわけで僕のイラストレーターとしての十数年の生活は楽しみより苦しみがほとんどだったような気がする。
それにも気がつけない程自分の心は痛みに対して麻痺鈍感が染み付いてしまっていたんだろう。

フリーランスの仕事形態は人が苦手な自分にはとても最高の環境。そして末端のフリーランスイラストレーターとはいえ、稼げる時は今まで見た事もない額(あなたが想像する金額からゼロを2つ抜いてください)が稼げる。
そんな仕事に就けて嬉しかったし楽しかったし、安心だった。どこまでもどこまでも一生取り組んで良い行こう。それは間違いないと思っていた。
でも、だからこそ自分が傷ついている事や、悲しかったり苦しかったり辛かったりが見えにくかった。でもでも何よりそんな苦しさも何とも思わない。というような情熱がなかったのかもしれない。

そんな麻痺鈍感は子供の頃からの心の傷も多いに関係している。と思う。もうごっつりとさ。「仕事を辞めよう」と思えたのは、自分の半生を振り返り傷ついた気持ちを毎日のようにどうしたら救えるか。それに取り組んだ結果思えた発想なんだと思う。
ここまで自分に取り組まなかったらきっと苦しみながらもずっとずっと続けていって、偽物の架空の満足感を感じるだけで突き進んでいたと思う。架空の満足感は架空。
続けていても、実態のない満足感では自分の気持ちの貯金箱に何かが貯まる事はないだろう。なかっただろう。

最後イラストレーターとしての僕に訪れたのは、どうしようもない強迫観念。
そこまでの強迫観念に囚われたのは、どうしても自信が持てない自分の作風だった。
自分の絵をみたのなら仕方がないが、やはり具象的なイラストレーターと思われてしまう。でもそれも仕方がなかった。誰の性でもない、さらには自分がそうして世の中にプレゼンしていたのだ。そりゃ修正訂正の依頼にも相手方の価値観で進んでしまう。ほんとさ。
相手の言う事を一つ一つ聞いてそれに対してこちらから注文する事はなかった。どんなに自分が描きたい方向から離れていようとも、相手が正しい。自分が間違い。そこに疑問を持てなかった。こうしたらこの案件はもっと良くなる。そんな提案など出来るわけがない程自信がなかった。
絵はどんどん誰の絵かもわからない物になり、気がつくとどこまでもごまかして絵を描いている事にも気がついた。
そして何より楽しくなかった。描いていた楽しくなかったのだ。というか描いていて楽しい時はあったのか?
自分に自分で聞いてやりたい。。。
一体そんな絵でだれが幸せになるんだろう。今ならその時々の自分におもいくそいってやりたい。
「おいおいおいおいおいっ!っ」って。頭でも叩いてやりたい気分だぜ。

あれ、なんだこの水、目から水がでてく、く、る、るよ。嗚咽
夜の公園の滑り台でビール片手に
「はいどうぞ、今夜は送りますからたっぷり飲んでくださいね」
「と、とうごくん!」(ここ知る人ぞ知るドラマの台詞。これ拾ってくれる人友達になりたいわ)

茶番はどけ。

街を歩き樹木を見れば
「え~、こ、こんなのかけないよ~」

おしゃれな人を見れば
「え~、こ、こんなのかけないよ~」

どこまでも続く綺麗な構図の道路を見れば
「え~、こ、こんなのかけないよ~」

どこにいっても何を見ても、それをきちんと描かなければならない。
そんな脅迫観念にそこまで襲われていたのはもうかわいそうとしか言い用がなかった。
ほんとうに外に出るのが怖かった。

こわいこわい、そおじゃ、そおっじゃなあ~い。再びまーちん。

自分はまだまだ頑張れば仕事沢山来ると思うのです。頑張る限り。そして好きな事なのに頑張りになってしまっているのもそれはそれで問題なのだ。つまり、自転車を漕いで漕いでこぎまくってヘッドライトを点灯させる。そんなふうにしか頑張れない。そしてこの自転車を漕ぐのは好きじゃなかった。で漕ぐの辞める。ライト消える。すなわち仕事が来ない。本当に向いてる人はなんにもしなくてもライト付いてるんですよね。僕が見る限り。仕事が仕事を生むというのもその一つだと思う。
僕の場合装画を何冊も(20冊くらいかな)手がけましたが「その仕事をみて依頼しました」はなかった。全国に流通し津々浦々まで浸透した装画ですが、なにも反応がないというのも寂しかった。。。そしてせっかく採用して頂いたデザイナーさんや、もちろん肝心の著者の方々にも僕の職能としての技量が足りなかった事を謝りたい。

なので仕事が来る来ないではなく、自分の進退としてこれはとても良い選択だと言う事。
そしてそれは自分がしないことによって他のもっと優秀なイラストレーターさんに仕事が回るという事。
絵が上手いだけでもだめだと思うし、営業が上手いだけでもダメだと思う。
そして、その両方があってもダメなのだろう。
一番大事なのは、自分がどんな前提で取り組んでいるか、どんな根拠のない自信をもって取り組んでいるか。
その部分が多いに影響している事を痛感したこの廃業への岐路で思うことだった。

なので辞めると思いついてからはほぼ悩まなかった。
ただただ解放される事へ自然に舵はそう向いた。一度思いつくともうその後は絵を描こうなんて到底思えなくなった。
選択は正しかったと思う。
これから先の不安は計り知れなく、貯金も職もない、リアルな無職。
それでも家族はなぜか喜ぶ。
僕がイラストに取り組むのはそれだけ違和感があったようだ。

さらに恩師と言える方々に報告をしたところ、
「楽しくなかったら辞めていいと思います」
「生きる場を変えたらもっと自分らしさが出ると思います」
自分自身そんな思いでの選択だったが、縁のある方々からこんな温かいエールを頂いて励みに思え、胸が熱くなるのを感じている。
今の日本の社会で辞める事、諦める事を温かく受け止めてくれ、こんなふうに言ってくれる。
そんな人はそれほど多くないと思っている。

ここまで読んで頂けた方々にはもう感謝しかありません。
こんな駄文を最後まで読んでいただけるなんて。
そして気づいてしまったのです。イラストレーターを始めてからずっと自分のブログでは来訪者に飽きて頂かないようにブログを書き続けて来た事。
若い時は風邪をこじらせてお笑い芸人にでもなりたいと思っていた。(当時談「えー本気でした」)
若かりし頃、バイクレースをしていた時周りにはテレビで見る芸人より何倍も面白い人たちに囲まれていた。そんな中当時の若い私は面白DNAをスポンジのように吸収していった。日々の中で常にユーモアな切り返しを楽しむ自分には、こんなころころとふざけながらも真面目な事を言う。そんな文体がとても好き。体に染み付いたこんな文体をもっと書いてみたいと思いこんなサイトを立ち上げてみたのだ。

今まで文章を書く手が止まる事はなかった。FaceBookはイラストレーターとして営業目的のツールとして立ち上げた物の、日常日記の文章の発表の場になっていた。沢山描いて来た「何が描けるか絵」しかしその絵に評価が目白押す事はなかった。絵に対する「薄っ」の反応の反面、文章はなぜかおもしろがってもらえた。僕にはそれが、絵を褒められより何より幸せなんだと思った。

もうこれからは思う存分お金が尽きるまで、(直ぐ尽きるー。←なんか楽しそうじゃねーか?)ちょっとおもしろおかしくでもほろっとするような文章を暇人のつぶやきとして書こうと、いや描こうと思う。今は本気でそう思う。仕事はないしお金もない。しかしなぜか自分は大丈夫なのではないかと根拠のない自信(というと大げさだけど)がほろりほろりと手のひらに降りて来ているのを感じる。それが何より大事なのだろう。

文章を書くではなく、文字を描く。そのニュアンスが自分には距離を近く感じられる。
そう僕はイラストレーターは辞めたのだが、書く事、いや描く事は辞めないのだ。
きっとこれからもずっと。

ご清聴ありがとうございました。

拝啓、イラストレーター辞めました
第二話

2017年1月9日| 記事一覧

さらになかなか風景のシリーズが思うように描けなくなるにつれ、街シリーズは僕のイラストラインナップのエースになっていった。
「よ〜ばん、ぴっつちぃや〜 街田さ〜ん」エコーのかかったウグイス嬢もエールを。

そしてだんだんとフィールドは、広告雑誌ではなく施設関係へと移っていく。
大きな所ではKIRINの本社の2階の「ココニワ」という案内施設へ大きなマルチビジョンでのイラストの展開だった。
それは大掛かりな街の制作で詰め込んでも詰め込んでも終わらなかった。けれどアイデアは尽きず、最後は詰め切れないアイテムもいくつもいくつも。。。
「向いてるな〜」
とぶつぶつ良いながら描いていたのを思いだす。

しかし制作はかなりきつかった。修正ではない幾度ものやり直しがあり、描いた物がほぼ変更になるなど制作現場のディレクションは荒れに荒れた。
施工現場ではクライアントと施工デザインチームでまじ口喧嘩もあったらしい。
あまりにも修正レベルではないで「変更」(←こわーい)が多過ぎて施工会社のディレクターさんが菓子折りを持ち、わざわざ小田原まで来てくれるほどに。それには恐縮しておもわず背も縮んだ。125cmくらいに。。。

かくかくしっかじかを繰り返し、なんとか細かい部分まで完成した。苦しんだだけに、久しぶりに仕事で手応えを感じられた案件だった。
プレオープンではKIRINの企画陣と施工会社の製作陣の方々と完成披露パーティー。きつかったイラスト作成の苦労も帳消しになるような良い場だった。充実だった。
これからもこんな仕事をしたい。風景シリーズよりはるかに稼げるこのシリーズに僕はまた金に目がくらんだ。とはいっても労力以上の報酬とはなかなかいかないが。。。

こんな大きな名誉な仕事をしてしまったらこの後どんな引き合いが来るのか恐ろしかった。もう呑めや踊れやの満天依頼がざっくざくと来ると確信していた。

しかし電話はならなかった。←これは比喩。メールねメール。

よく聞く開店直後のレストランであまりに予約がないもんで、電話が壊れてるんだろうって、あれ、あんな状態。
メールの不具合かな〜。

受信。ぴこ。

ずらずらずらずら〜っとスパムメールがスッパスパ。思わず挟んで食べてしまいたいくらいのスパムの行列。
それでも信じたくなかった。もっと沢山の受注案件がわたしのエクセルシートには並ぶと確信していた。

来なかった。
な〜んにも。
「ココニワ」という新しい施設紹介のネット記事はいくらでも検索できた。
しかし絵の事などどこも触れていない。
街の絵はイラストだけではなく、アニメもからみ、それに対するアバターやらシーンアニメなど沢山描いた。
描いたよね?おれ描いたよね?思わず自分の意識を疑った。あれは夢か?
1年経っても2年経ってもそれにまつわる仕事受注は来なかった。
ま、そんなもんなのですね。
自分には仕事が仕事を生むということはとても少なかった。少ないというよりないに等しい。
「向いてない」
思わず振り向いた。
誰かに言われた気がして。。。

めげずに次にわたくしが取り組んだのが、周りの仲間が次々と成果を出し世間的にも評判となっていたクリエイターズエキスポ。
ずら〜っと小さなブースが縦横に並び、デザイン、印刷、出版、広告。ありとあらゆる業界関係者がすし詰めで行脚するし、あちこちで商談が繰り広げられると聞いた。その巷で噂になっていたクリエイターエキスポへのの出展を目指す事にした。
クリエイターズエキスポ。というワードが舌足らずな僕にはとても言いにくく、知人へ説明する時におもわず
「くりぇぃつたぽ」というどうしようもない発声に自分でも呆れて座っていたイスを後ろへ大きく倒し後頭部を強打させたいくらいのもどかしさ。
聞いていた知人が「なにそれー、くりえぽ??まったくも~何でも約せばいいと思って~、こら~」と言われる。
この下足らず焦り症候群はいつか直したい。ちゃんとしゃべりたい。(余談)

エキスポへ2回参加したうちの最初の出展。
僕はありったけの自分の実績をもって参戦した。
壁には実績を張り巡らせた大きなポスター、その中でもKIRINで描かせて頂いた大きな街のイラストは大々的に配置した。

「受けた」
おおいに受けました。僕の愛おしいイラスト実績。
てててーん、ててて~ん、てててて~
ぶおーくらは、いっちについて~♪
とまさにあの番組のタイトルのようにプロフェッショナルという称号を頂いたようにも思えた。実際はそんなこと全くなかったのだが、この時の僕ただただ浮かれた。

あれほどの業界関係者の来場者がひしめく中で僕のブースは混雑でもてなされた。
あり得ないと思っていた1000部の冊子の手渡しも完遂。実際に案件を仮約束して頂く方もいくつも。
きた、来た、北ー。そしてこっちは南!南ちゃん!←うるさい。
満足だった。ただただ満足だった。あれだけの関係者から手応えを貰い、再び急がし地獄を味わえると思った。
確かにいくつかのとてもとてもありがたく光栄な仕事を貰えたので出展の意義は思っていた以上に有意義だった。
その後最初のただ一度の盛り上がり。その後は鳴りを潜めた。
長続きはしなかった。

きちんとお会いした全員にお礼メールなど送ったりもしたのだが、その後の僕の対応も薄かったのかもしれない。その後の僕の発信能力がなかったのかもしれない。
この業界はやはり自分からガツガツがっつに発信していかないと、特に僕のような目立たない中堅イラストレーターはいつでもどこでも全開に動かなくてはならなかったのだ。(僕の場合は。。。)

そして2回目の出展に希望をつなごうと次回出展への展望を育む。
2回目の出展はまるで不発だった。ショックで思わず手をぶらぶら上下に揺らし「ちょうちょ~」とでも歌いたくなるくらいの。現実逃避。もう何度この仕事についてから逃避してきたか。アポナスティー。思わずな造語が頭をよぎる。
まぁ、アホなんです。あほですな。あほ。こんな愛おしいアホはまぁいないのですが。。。
アホな割には必死になんでも取り組むのですが、2回目は想像以上に成果がなかった。
冊子は大いに増刷し、今回は1600部きちんと手渡しで挨拶しながら渡した。
名刺も沢山頂いた。
イベント後のお礼メールもきちんと送信。
「あーやばい、どうしようあれもこれも確定したら家建つんじゃねーか、レゴでな。くははは」とくだらない脳内マヒナスターズな浮かれは止まらなかった。
なのに、なのに。だのに。。。
「だのにー、まーたー、なにを〜さが〜し〜て〜、きみわ〜」昭和懐メロも飛び出すほどがっくりした。
全く成果がでなかった。
唖然。あぜん。
【唖然】
思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま。あっけにとられるさま。
↑まさにこれ。

そして急降下なキリモミで仕事への意欲が無くなっていく事が手に取るように掴めた。鳥は空を舞い、蟻は地面に穴を掘った。そして私はビールのプルタブを倒した。呑んだ。酔った。

そしてその後半年ほど新規の仕事が来ないという異常事態。
焦った。ただただ焦ったのだ。こわいでしょ?
天下のイラストレーションファイルにだって毎年きっちり良い仕事を載せている。
エキスポだってあんなに冊子をお渡しした。
なのに、なのに。だのに。〜
「ま〜た〜…」繰り返す。

そしてこの頃の僕は描きたい。ではなく、描かねば。な状態。良いわけがない。良い絵が描けるわけがない。良い仕事が来るわけがない。世の中のイラストレーター達のあの手練のうまさは尋常ではない。脚光を浴びるような方達はもう世界レベルで見ても頂点に近いような表現力。こんな手先の、しかもねじ曲がったがんばりで見つけてもらえるわけがない。誰がそんな余裕のない押しつけの絵を求める物か。。。
好きで始めた仕事は今となってはどんどん僕の首を絞めていた。気がつかないくらいじわじわと。

苦しくて足下をふらつかせ、僕が頼ったのは大、大先輩イラストレーターの山田博行さん。
過去に営業のブレーキが止まらず、「うおーブレーキなんか嫁にくれてやったー」とかっこも良くないし、というかちょっと失礼じゃないか。嫁さんはブレーキ貰ってどうすればいいのか。ブレーキの先っぽのまん丸い部分で背中でも押すのか?こってるのか?背中こってるのか?
まぁいい、僕は止まりきれずに思わずイラストレーターの山田さんにまで営業メールを送るという失態を起こす。
僕は図書設計組合のデザイナー年鑑を見つけ、「それ営業~」と片っ端から全員に「こんなイラストレーター居ます。いつかお仕事させてください」と送ったのだ。

その頃の僕はイケイケだった。何がというとメールでの営業を覚え、片っ端からメールを送りまくっていた。東京から少し離れた所に済む貧乏イラストレーターには頻繁に都内に営業に行く財力もなく、手軽でしかも相手に迷惑もかけないメール営業に精を出していた。
都内全部のweb制作会社に同じ文面とはいえきちんと宛名を変え、一件一件メールを700件程送った。一日中がんばって一週間かかった。
そのような草の根運動が実り、それなりに反応も頂いて仕事もいくつも頂いた。レギュラーも頂いた。
web制作会社とあるが、社内では広告も扱う会社も多く、web以外の仕事もいくつもいただいた。

話を戻す。
その図書設計協会年鑑にはデザイナーさん以外にも装画家コンテンツもあり、僕は気がつかずに全員に送ったのだ。そしてありがたい事に山田さんから
「僕も絵を描きますので、仕事を提供する事は出来ないと思います。けれどこれだけ上手に絵を描かれているのでしたらすぐに忙しくなるとおもいますよ」
親切だ。親切すぎる。僕は上手と言われニヤニヤしてしまう。ま、単純なんですよね、単純。単細胞。そして勘違い平行棒はどこまでも勘違いだった。(正:段違い平行棒)

そしてその営業から数年後山田さんが主宰しているイラスト講座への入講を果たす。
半年間描いてかいて描きまくる。
そんな講座です。と。そして講義では30年近く一線で活躍している山田さんのノウハウを全て紐解いてくれるという。そして「10年くらいイラストレーターやるとみんなそんな風に一度仕事が落ち込んで悩む時期きますよ~」と気さくに言って頂く。そして「そんな人を立て直す意味も含んでいますので」と言って頂き、即決する。

そして講座ではドローイングをはじめ、ペインティングなどを描きまくった。
頭を何万回だってうなずきたくなるような営業方法、それ最初から知ってたらイラスト人生も変わっていたかも。の連続の講義。僕はあれを描いて楽しい、やっぱりこっち描いて楽しい。初めてかと思うくらい仕事以外で必死に絵を描いた。
しかし楽しくかけた課題だったものの、結局最後まで心から何が描きたいかわからないで終わってしまう。

講座修了後も仕事の荒波は続く。この十数年の仕事の中ではなかったような依頼の来ない連続月間。なんのキャンペーンだよ。応募シール集めちゃうぞ。思わず自棄になった。
波だよこれただの波だかだー。と、もはや人ごとに諦めかける。なにもかも。

家の近所の満開の夜の桜並木。こんな風に咲くつもりだった。ま、つぼみも可愛いよ。

そして描けなくなっていた風景シリーズを再度挑戦してみた。仕事以外で単純に描いてみようと。しかし自信はなかった。僕の数少ない恩師の中で、誰もが知る雑誌「イラストレーション」で長年編集長を務めた片桐さん。イラストに携わってこの方の名前を知らない人はいないであろうイラスト界の道しるべのような存在。

僕はイラストレーターとして安定して仕事をしてこれた最大の要員に、その玄光社が発行しているそれこそイラストレーターなら誰もが知っている「イラストレーションファイル」という年鑑。
大勢のプロのイラストレーターが掲載されており、あんな方やこんな方まで大御所、新人含み華やかな年鑑となっているのだ。日本中のイラスト案件を発注する方々がこの本から描き手を選ぶ。というパターンは業界ではもはや常識であった。僕はそこに掲載して欲しいと強く思い、何度も片桐さんに掛け合った。間を空けて3度くらい掲載お願いに伺ったと思う。ようやく承諾をもらい憧れのイラストレーションファイル掲載へとたどり着く。
掲載後は問い合わせが毎週のようにいくつもやってきて、僕は沢山の仕事のきっかけを頂いた。そして安定して専業イラストレーターとして活動を続けられた。もう到底足を向けて眠れないようなそんな存在の年鑑である。

そんな思い出のある片桐さんに最後に取り組んだ風景シリーズを監修していただいた。
メールでのそれほど多くないやり取りだったが僕は希望を持てた。
それをもってHBファイルコンペに応募し2次審査まで進んだ。元々イラストレーターという言葉すら知らなかった所からスタートした自分としては可能性のある健闘だった。2次審査とはいえ、そこにはあんなイラストエレーターこんなイラストレーター、知っている名前ばかり。ただただバイクに乗りまくっていた兄ちゃんが、思いつきで始めた絵を描くという事。そこまで到達するなんて。自分の中では満足だった。

HBファイルコンペは20枚のイラストファイルで応募し、応募者は800人近くあつまる日本でも屈指のイラスト公募。
しかしそんな光が見えそうな結果ももはや何かが力つきていた。片桐さんに監修をしてもらうという贅沢なシチュエーションを持ってしても、もはや末期な自分を立て直す事はできなかった。
風景を描く気力はもうなくなっていた。最後の振り絞りだった。

そして愛娘が誕生した。ぱんぱかぱん。
家中はフィーバーたいふーん状態。(おもにわたくし)無駄に「オーイエ、オーイエ」と謎の欧米化。心行くまで欧米ぶった。
子の誕生への歓喜は私の歴史の一番大きな出来事だった。外にまで聞こえそうなお囃子は家中に鳴りひびき、人々は飲み叫び、そして暗闇の中で乗った船の先々では、海賊は女を追いかけ砂浜には金塊を積んだ。妙に耳の大きな黒いでくのぼうがふらふら歩く遊園地のなんとかの海賊。のように。頭の中で。。。

娘の育児への忙しさを大義名分に掲げ、それはそれは大いばりで休んだのだ。
イラストから目を背けるように、可愛くてたまらない娘への育児に没頭した。楽しくて仕方がなかった。
「これも神様が休めっていってるぅんだねぇっ」と片足を膝から後ろに大きく振りあげ腰をくねらせた。
そしてそのなんとかの海賊の大きな船で進んだ最後、大きな坂を下り落ち、水しぶきをたっぷり浴びたその時我に還った。意識を取り戻した。はっきり視界に入った「おーらい、僕はきゅーとな不安君」おもわずテーマソングまで聞こえてきそうなそのキャラフィギア。なかなかの良い出来映えで立ちはだかった。良い造形だった。

そして大きく上半身を振りかぶりつぶやいた。
「これから先どうしよう。」
お、おい…の、のんきすぎるぞ。おまえ。本気か?

僕が風景を描けなくなったもう一つの大きな理由。
僕はずいぶん前から自分の心ということに向き合い、ずっと抱えて来た生きずらさ。そんな鉛をどうにか取り去りたいと取り組んで来た。心理学を中心に勉強をし、自分の胸のうちを覗いた。何年もの間取り組んだ甲斐もあり沢山の胸の内が満たされた。
がらりと見る風景が変わった。しかしそれでも取り去れない根強い部分もまだまだあり、心の旅は続いた。

風景シリーズを描いたきっかけは途中書いたように、自分が生きてきた喜び辛さ、楽しさ苦しさ。そんな目線で取り組もうと。
心のひずみは三蔵法師一行が向かったガンダーラまで続くような遠いと遠い苦しい道のり。旅。
悲しさに触れてこの絵を。寂しさに触れてこんな絵を。どこまでも、いくらでも表現ができた。生きづらさをバネに。自分の傷を癒そうとして。
そしてそんな想いで描いた風景は色々な角度から僕の心を癒してくれた。
僕はそんな心と絵のやり取りをとてもとても大事にした。

しかし絵とは別に取り組続けた自分の心。取り組みが進み次から次へと苦しさは取り去られた。まだまだ辛い引き出しを多く抱えているとはいて、僕は沢山の取り組みをした。沢山の本を読み、沢山のカウンセラーの価値観を知った。

振り返ろう(なんで?)
一番最初に心理が(だからなんで振り返るの?)心理学に触れたのは(聞いた?誰かが聞いて来たの?)結婚など?育児など?そんなこと夢にも思ってなかった時期。その時付き合っていた彼女。彼女も自分の心の辛さを乗り越え安定していた時期に大きな袋を抱えたさんたくろーす、いやさんざんくろーする(散々苦労する)な自分ががやってきたのだ。彼女は悲鳴をあげた。大変だったと今となっては謝りたい。そんな彼女が耐えられなくなり、
「カウンセリング受けてくれないならもう別れる」ぐさっ。ぐさっときたね矢沢にはさ。
「よーしうけてやろう!、で?だれに?」矢沢困ったね。
しかし彼女はカウンセリング先まで調べてすすめてくれた。
バイクで30分、料金も良し、行こう!
ててて、ててて、ててて、て~。
京都にでも行きそうな勢いで、僕はそのカウンセラーのドアを叩いた。正確にはぴんぽ〜んと指で押した。
実際は緊張でぶるぶる震えていたのだが。
かかか、かうんせ、せりんぐ???一体何がどうなってしまうのか。びびった。本気でびびった。
そして数回受けた後、どうしても、どうしてもこのカウンセラーと話すと傷つくし落ち込んだ。
2分置きごとに髪をかき上げるあの仕草、ぜんぜん話しかけて来ない、なのに「僕はこの手のアダルトチルドレン問題(もはやそんな言葉すら今は滑稽だが)得意なんですよ〜」ふわ〜。とまた髪をかき上げる。なんなんだよ。よしもう断ろう。
そしてこれからどう自分の気持ちと取り組もう。また迷いの森に歩き出した。。。

そうして僕の心の旅は始まった。

そしてとても信頼のできる心理カウンセリングにも出会い心理を深め、あとはセミナー、セラピスト養成講座、そして菅波亮介さんというカウンセラーから教えて頂いたヴィッパサナー瞑想という10日間の合宿瞑想。僕は10日間ただただ座るという合宿へも参加した。2500年前にゴーダマさんという仏陀が編み出した悟りを開く為の瞑想方法。全てが心理学と通じており、講話を毎晩聞くと人間は2500年前からも同じような悩みを沢山の人々が抱えきれずに生きてたのだな。という話ばかり。そんな大昔の人たちが身近に感じられ、ちょっと微笑ましかったりもしたのだ。

そんな沢山の取り組みは確実に効果を発揮した。僕は手が届かないと思っていた自分の心の苦しさの解放、そして次々に広大な苦しさの心の荒れ地を癒していった。あんな想い、こんな想い。あんなにもはびこった心で灰色に曇らせた生きずらさの抽斗。その抽斗たちは一つ一つ要らない荷物を吐き出し空にした。そして今度は好きな物を大事にしまい出した。やりたいことを入れ、やりたくないことを放り出した。人生は自由だ。

そんな心境に達した事で、僕が一番重要な位置に置いていた風景シリーズを描く為のアンテナを「癒し」という正位置な気持ちで一つずつ外していった。

第三話へつづく。。。