小説「チェリーブロッサム」第46話

2018年6月12日| 小説「チェリーブロッサム」, 記事一覧

タージマハルは、インドの遥か彼方から象1000匹を使って運ばれたと言う壮大な量の白大理石で造られている。こんな大きな白い物がこの世の中にあるということにとても驚いた。この規格外のタージ・マハルは、あまりの白さに世界7不思議の一つとして数えられていて、その美しい造形は敷地を含め建物もすべてが完全なるシンメトリーに設計されていた。右にこの城郭があれば左にも同じ城郭が、右に同じ塔があれば左にも同じ塔が。何もかもが左右対称きっちりに建造されている。
「う、美しい」
僕はそう呟くと、ちょうちょを追いかけながら三途の川を渡る、命の境目を彷徨う人のように魅せられていた。僕はちょうちょを追いかけながら、まっすぐにタージマハルに近づいた。
「誰か! だれか僕の首を支えてくださーい!」
という独り言を、ちょっと大きめにしゃべりながら、僕は真下から見上げたタージマハルに圧倒されていた。僕は手で首を支えながら、しばらくこの圧巻の存在感を見上げた。
首を前方に降ろしたあとは、右に左にと走り回っては大理石を触り、また走り回っては触り、を繰り返した。写真では確認ができないような細かなレリーフが、壁面にびっしりと細工されていたのだ。「フライト」の記事では建造期間は20年と記されていた。それを見た僕は「ええ?」というリアクションをして「それありえないよ、そんなに長い間なにやってたの? みんな寝てたの?」などと思っていたのだ。しかしこうして実際に目の前で自分の目の網膜に映してみると、とてつもないスケールの大王の憶いと、携わった職人の意気込みと、凄まじいまでの技術を感じた。すると「よくこれを20年で作れたね、みんな寝なかったのか?」に変わっていた。
エロ兄ちゃんを置いてけぼりにし、敷地内を走り抜けて来た僕は、ずっと1人でぶつぶつ何か言っては感動していた。エロ兄ちゃんとも信頼感が生まれてきていて、そんな迷走した僕を置いてどこか行ってしまうなんてないと思っていた。というかまだこの日のガイド料を支払っていなかったので、絶対いなくならない。うんそれだ。
そしていよいよ墓廟へと入り込んだ。四つの塔に囲まれた真ん中に佇む墓廟である張り紙に記されていた「ハダシ デ アガル ヨウ ニ」と書かれた指示に従い靴を脱いだ。
夏期のここアグラの気温およそ40度。床は壮麗な大理石。そう石。燃えた炭の上を走り抜ける達人でもあるわけでもなく、どこにでもころがっているような兄ちゃんの僕に、そんな芸当など当然できるわけはなかった。焼けた鉄板の上で踊る囚人のように小刻みに跳ね、もう素直に「あぢぢぢぢっ」と言いながら走った。僅かな日陰を目指して走り抜け、また日陰から日陰へと走り抜ける。そして墓廟内部入り口まで走り抜けて、日陰で休む人たちに混ざって僕も休んだ。僕がカメラを持っているので、何度も話しかけられた。つまりは「撮れ」である。僕は気を良くして「オウケイオウケイ」と撮りまくった。
散策を続けているうちに、僕は大王の気持ちと許可もなく勝手に繋がった。ここまで栄華を極めた大王であっても、結局は1人の人間。そして愛する妻の為に私財を投げ打ってでも愛情を表現したかったのだ。タージマハルを完成させたこの王は、最後は息子の反逆に遭い、離れた城に死ぬまで幽閉されたという。幽閉されている間、窓から見えるこの妻の眠るタージマハルを毎日眺めた。そう書いて雑誌の説明は締めくくられていた。
そのことを思いだすと、この敷地内のどの部分を見ても王の「愛」しか感じられなくなった。落ちている葉っぱにでさえ……。僕はほんとうに人を愛しているのか。愛したことがあるのか……。自分勝手で些細な不満を勝手に積み重ね、自分の苦しみをゆり子のせいにしていた。そして強い欲望を感じた朱里への意地汚い依存心。自分に置き換えると、愛がなんなのかさっぱりわからなかったが、自分がしてきたことが「愛」ではないことくらいは理解できた。僕は傲慢で不純な男だった……。
ゆりこのことをあきらめよう。あきらめざるを得ない。もうゆり子はほかの人に目を向けている。僕に選択の余地はない、そう思うとまた酷く落ち込んだ……。ゆり子への気持ちを振りほどくのにはまだ時間がかかりそうだった。
虚ろになりながら大楼門までとぼとぼと歩いて戻った。肩を落としている僕を見つけたエロ兄ちゃんは、何も言わず車まで連れて行ってくれた。そして車内ではずっと何かの曲に乗せて「アソコ」と連呼していて、またこれかと思ったが、気がついたら僕は大笑いをしていた。エロ兄ちゃんが気遣ってくれているのが嬉しくて、僕は目を潤ませた。しかし、「アソコ」と言えばいつでも僕が喜ぶと思ってるこの空気だけはなんとかしなくては、と僕は心に誓った。
インドの偉大な太陽よ、僕のこの叩きのめされて傷ついた心を、いっそのこと粉々に焼き尽くしてくれ。そう言って僕は目をつむり、車のヘッドシートに後ろ手を組んで頭を乗せた。

つづく

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