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llustration & novel
✧ 未来のために ✧

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llustration & novel
✧ 未来のために✧

 僕は今朝の便でアメリカに手術で旅立つ友人を見送ろうとしていた。搭乗間際に彼は、「お前のこと、は忘れないよ。かな、らず戻るから」と弱弱そうにに言った。彼の口元には明らかに嘘が現れていた。彼は初めて会った時から体重が20㎏も減っていて、立っているのもやっとだった。しかし彼は、誰の手も借りず自分の足で立っていた。彼はもう日本には戻らないのだろう。そう思うしかない別れだった。

 彼とは病院の中で知り合った。僕はバイクの事故で太ももを派手に折り、皮膚から骨が飛び出るほどの大怪我でその病院に運び込まれた。バイクから放り出された次の瞬間目に映った僕の足は、太ももから先が見たこともない方向へ曲がっていた。それを見たとき、もう部活も学校も全てが終わったと信じるしかなかった。脳からのアドレナリンも追いつかず、叫ぶほどの激しい痛みの中で次第に意識は遠のいていった。次に気がついたときは、ベッドの上だった。目を開けてもそこがどこなのかもわからなかったし、視界は赤くぼやけていた。膝には見たこともないような形の金属が刺さっていて、そこを起点に足は吊り上げられていた。

 絶望にくれながら、朦朧と窓の外の廊下を見ていると、車椅子に乗った同い年くらいの青年が通りかかった。彼は僕と目が合うと、手を挙げて微笑んだ。その手は見るからに震えていて、彼が力を絞ってその手を挙げていたことはすぐにわかった。

「今日は顔色が良さそうね」

 看護師さんが体温計を渡しながら、僕のベッドのそばまで来た彼にそう言った。

「ああ、彼に比べたら…… 僕なんか今日にで…… も退院できるく、らいだよ」

 彼は声を震わせるように言った

「そうね、あなたは元気すぎるわ」

 看護師さんはそう言いながら笑うと、今度は僕の腕をゴムで縛り、血圧を測った。

「脚、だい、じょうぶ……?」

 彼は僕にそう尋ねた。

「うん……、結構痛いけどね」

 そう言って起き上がろうとしたが、どうやら首が持ちがらないようだ、手も体も全て自分の意志を感じるのに、体を起き上がらせることはできなかった。人は首を自分で持ち上げることができないと、絶対に体を起き上がらせることはできない。この怪我で知った、ゴミ箱にでも丸めて放り込みたくなるような、どうでもいい知識だった。

「無理しないでね。首はムチウチ状態だから、今はおとなしく寝ててくださいね」

「あはは、僕みたいに…… 元気なれるといい、ね」

 そう言うと彼は、看護師さんに車椅子を押してもらい部屋を出て行った。

 それから僕らは毎日のように話をした。彼は臓器のほとんどを癌に侵されていて、特に肝臓が壊滅的だった。けれど彼は「寝ているとが、癌が広が、るんだよ」と言って毎日僕のベッド脇まで来ておしゃべりをした。彼はどんなに苦しくてもユーモアだけは忘れなかった。けれど、寝ているだけのことがどれだけ窮屈で怖いことなのかは、こんな怪我をしただけの僕にでもわかることだった。しかし彼は一つも諦めてはおらず、しつこく世界中にアンテナを広げると、たくさんの人が彼の援助に手をあげた。彼は全身に激痛が走っているはずなのに、そのおぼつかない手で、インターネットの世界を隅々まで走り回った。そして彼はアメリカでの肝臓移植手術という奇跡の切符を手に入れた。

「僕は絶対……に、あきらめないって、言ったから、ね。肝臓だけ、じゃないよ……、この体を、ぜ、んぶ元に戻すんだ」

 そう言う彼の瞳の中は、どこまでも深い海の底のような群青色に澄んでいた。

 まだ十代の僕らの生命力は瑞々しく、彼の細胞は癌にもとても勇敢に立ち向かった。しかし、その生命力故に、また癌の細胞が増殖する力もパワフルだった。

 僕が車椅子に乗れるようになると、彼とよく外を散歩した。病院は山の上にあって、麓は相模湾が広がる海辺だった。病室からも吸い込まれるような雄大な海原が見えていたけれど、やっと寝たきりから解放されて外に出て直に見る海の景色は、まるで別世界のようだった。夏が始まる頃に僕は入院をして、今はもう秋が終わろうとしていた。あんなにうるさかった夏のセミの鳴き声も今ではすっかり止んでいて、代わりに小さな鳥たちの甲高い鳴き声が、ときおり響く程度だった。僕は外へは一人で移動ができたが、彼は酸素マスクと看護師さんがついていなければ病院の外には出られなかった。彼に付き添う看護師さんは僕らよりいくつか年上なくらいだったから、いつもよく3人で女の子の話なんかで盛り上がった。その看護師さんは髪のサイドを深く刈り上げ、眉毛はギリシャ彫刻のように堂々としていた。僕らは看護師さんのことをギリシャくんと呼んでいた。

   *

 彼は震える体を精一杯の力でコントロールするようにまた車椅子に座り、搭乗ゲートへと押されていった。その彼を押すのは、ギリシャくんだった。

「かな……、らず、も、戻る……から」

 彼は振り絞るようにそう言った。ギリシャくんは代弁するかのように、人差し指と中指をこめかみに当て、ウインクをしながらその指を僕に突き出した。その二人の姿を見送っていると、空港のクルー数人も合流し、彼の足取りをサポートした。

 その後姿を見ると、彼はもう日本には戻れないだろう。奇跡なんてそう簡単には起こらない。けれど、彼はわかりきっている結果すらも受け止め、自分の人生の挑戦をあきらめないという選択をした。彼はいつも言っていた。「僕には日本や世界中から沢山の人が応援してくれている。僕はこの命を世界のみんなの挑戦のために使うと決めたんだ」って。その言葉はどんな偉人の言葉よりも、僕の胸の中に沁み込んでいった。

 彼の姿が見えなくなると、僕はすぐに展望デッキへ行き、彼の乗る飛行機を見送った。冷たい風が僕の首元からするりと入り込んでくると、ジャケットの襟を立て、また空を見続けた。 

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