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llustration & novel
✧ 幸福の孤独と夜の瞼 ✧

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✧ 幸福の孤独と夜の瞼 ✧

 南側の広く抜けた庭には毎日よく日が当たった。その庭では質素で誰にも迷惑をかけないような、名も無い草木たちが静かに風に揺れていた。季節の変わり目には、その草木たちはきちんと季節に合うような色になって、僕に世界の様々な移ろいを伝えてくれた。

 庭の先の階段を降りると、道を挟んですぐに海岸で、その波打際に沿うように頑強な柱で持ち上げられたバイパス道路が、遠くの半島まで走っていた。だからいつでも波が砂浜を洗う音と、タイヤがアスファルトをこする音が部屋の中にまで運ばれていた。僕は大きな掃き出し窓の前に置いた机でいつも仕事をし、頭が煮詰まると腕を組んで目を瞑り、その運ばれてくる音に耳を澄ませた。

 波打際のバイパスは、庭より少し目線が下がったところを走っていて、一日中鳴り響くタイヤの音は人によっては毛嫌うものかもしれないが、けれど学生の頃暮らしていた部屋で聞こえていた、奇妙なヒットチャートや意味のわからない叫び声に比べたら、僕にとっては別世界のように思えた。

 夏になると、夕方には仕事を終わらせ、毎日のようにその広い庭に折りたたみのリクライニングベッドなんかを置いて、ビールを片手に寝転んだ。バイパスの向こうにはどこまでも広がる相模湾が流れていて、その潮は目では感じられないほどゆっくり雄大にその表情を変えていた。波と走るタイヤの音に耳を澄ませるだけで心地よかったから、ラジオもステレオも必要なかった。目を閉じると、離れて暮らす父親のことがよく思い出された。

 まだランドセルも背負わないような頃、両親は離婚をし僕は母親に引き取られた。その母親はそのあとすぐに病気で死んだ。父親はそのあとすぐに連絡をくれたが、僕のことは引き取らないと言った。僕は悲しむことも落ち込むこともなくそのまま児童養護施設に引き取られた。まだ分別なんてない小さな子供には、その悲しみの本質なんて受け取れるわけがなかった。でも僕にとってそれは幸運だったと今ならそう思える。父を恨まず、死んだ母を胸の中で慕いながら、一人身寄りのない人生を歩めたからだ。児童養護施設では、僕はそれなりに楽しく過ごした。そのあと何かを振り払うように18歳でフィリピンの小さな会社に就職した。そこで僕は生まれて初めて自由というものを味わったのかもしれない。とにかくみんな働くことを大事とせず、家族との時間を何よりも優先した。僕には恋人すらいなかったが、それでも現地の人と触れ合う時間は、このまま一生ここで暮らしても良いとさえ思えるようなものだった。10年間フィリピンという自由を謳歌する空気に触れて戻った日本では、僕は誰が見ても怠け者だった。だが、僕から見たら日本の社会の方が狂っていた。常に誰かが誰かに文句を言っていて、自分を映してくれる他人の存在に目くじらを立て、自分の本質を殺すことに勤しんでいた。この国の人は、死なないためだけに生きているのだろうか。一体、何を幸せと感じるのだろうか。それだけが頭の中をぐるぐると駆け巡った。

 そのあと幸運にも僕のことを好きだ。と言ってくれる女性が現れ、何も悩まずに結婚をした。しかし、奇しくも父が離婚したときと同じ歳になると、今度は僕自身も父と同じ選択をしなければならなくなった。彼女が身勝手に離婚をしたいと言い出すと、何も抵抗もできず3歳の息子との暮らしを失った。それは、選択とは言えないような代物だったかもしれない。僕がうつむいている間に、すべてのことは右から左へと過ぎ去っていった。一人になると、家のあちこちで息子の残像が僕に笑いかけていて、それを見るたびに、部屋中が真空状態かと思うほどに息ができなくなった。そのとき僕ができることと言ったら、この苦しみを生み出した張本人が自分の心の奥底にいるもう一人の自分なのだと認識することと、この場所から離れることだけだった。父は今、どこでどうやって暮らしているのだろうか。今の僕を見たら、なんて声をかけるのだろうか……。

 息子の残像から逃れるように、僕はこの家にたどり着いた。バイパスと海が見えるこの場所は、ずっと昔から憧れていた土地だった。こんなにも気持ちの良い家が見つかったことは、その時の僕には何よりの救いだった。

 夕方のビールを飲み終える頃になると、太陽は箱根の山々の峰の向こうに沈んでいく。僕はそのまま足を放り出し、夜に移ろう海を眺め続ける。太陽のかけらも追いかけるようにその峰に吸い込まれていくと、相模湾の海原は真っ暗な一つの「面」と化し、さざ波の表景は静かに瞼を閉じていく。同時に今度はバイパスの照明が灯りを点し、人工物として夜の道を煌びやかにライトアップした。その光の余韻が家の庭をふんわりと照らした。

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