小説「チェリーブロッサム」第45話

2018年6月5日| 小説「チェリーブロッサム」, 記事一覧

たかちゃんがくれた「フライト」9月号にはタージ・マハルの特集もあった。タージマハルを建造したのは、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンという、16世紀頃から北インドを支配していた、まさにマハラジャ。大王によるものだった。僕の陳腐なマハラジャ作戦など、その大王が笑った鼻息で消し飛んでしまうくらい小さかった。
タージ・マハルは自分よりも先に死んでしまった愛妃ムムターズ・マハルのために建造された総大理石の白亜の王墓廟なのだと。つまりはお墓である。20年の歳月と財力に物を言わせ「後世に残る墓」を、と残した愛する妻の遺言を忠実に実行して建築された圧倒的な愛の結晶なのであった。
ゆり子はため息をつきながら、じっとそのページを見つめていた。その時は、感受性豊かなゆり子のある一つの出来事だと思いながら見ていたけれど、「世界一の愛の象徴ね」とゆり子が言った言葉は、今ではゆり子にとってどれほど大きな意味なのだということが分かる。ゆり子は愛の人なのだ。

タージ・マハルに近づくにつれ、車からも徐々にその壮麗な白亜の城が見えてきた。まだだいぶ距離はあったが、その想像以上の大きさと圧巻の迫力の白亜の城に、思わずのけぞってエロ兄ちゃんに「おうおうおう」と叫んでいた。僕のテンションは跳ね上がり、ニコンが唸りを上げた、もうパッシャパシャだった。まだずっと遠い距離にあるタージマハルに向かって「お前をものにしてやるぜ」と叫びながらパシャシャシャシャと僕は乱れた。エロ兄ちゃんはそんな僕の暴れ撮りに釘付けだった。

入場チケットを購入し、敷地内に入るための大きな門は、赤砂岩造りの3階建ての「大楼門」がお出迎えをしてくれる。この門はタージ・マハルの凄まじさに隠れて中々注目もされないが、見所満載の建造物だった。ここには見所な物しか存在しない。
エロ兄ちゃんは、知り合いの同業の友達を発見、僕を放りっぱなしでその友達と勢い良くおしゃべりをはじめた。そのガイドさんも日本人を連れており、僕と同じように放り出された日本人二人組の女の子と、こちらはこちらでおしゃべりをはじめた。話しを聞く、というか一方的に聞いているだけで、僕の喋る番なんてこないかと思うくらい喋り倒された。話しの内容はこうだった。二人のうちの片方が、酷いモテ男にもて遊ばれてしまったらしい。その憂さ晴らしの為に、インドまで旅行に来たということだった。
さらに話しを聞くと、その子は彼にとても尽くしていたけれど、好きな女ができたとかで、ある日突然捨てられたのだと。もっと聞くと、というか聞かされると、そのモテ男は他にも何人も「好きな子」を隠し持っていたらしい。そのモテ男は「僕は世界中の女の子に素敵な思い出を……ボコッ」その子は話しを聞き終わるまでもなく「グー」で脇腹をえぐるように思いっきり殴ったらしい。「あいつの脇腹いい音がしたわ、あばら2本くらい逝ってるかもね。がははは」とてもかわいらしい女の子二人組だったが、そんな恐ろしい話しをしながら高笑いをしている様子を見て、とてもじゃないが僕のいきさつなど話せるわけも無かった。ゆり子に朱里。そんなことを話したら僕は血だるまにされて、この日本から遥か彼方の地で激死した上、タージ・マハルを見る前にインドの土となっただろう。それだけはごめんだった。僕にできることは、話の中に出てきた見ず知らずの彼の脇腹に、同情を寄せることだけだった。僕はそんな恐怖から、あり得ないくらい神妙な顔を作り、媚びるように話を聞いていた。こんな所で殴られるわけにはいかなかったからだ。そんな僕の様子を見た女の子からは、
「そんな顔悲しい顔しちゃってー、わかってくれるのね」
と手を握られた。僕は握られたその子の手の感触を観察しながら、この手がそいつの脇腹を……、そう思うとありったけの相づちを打った。打ちまくった。しまいにゃ「分かるわー、男でもそれ酷いのわかるわー」と棒読みで嘘を並べた。しかし僕が分かったのは、もちろんその男の殴られた脇腹の気持ちのほうだった。
僕は決してモテ男なんかではないし、隠れ「好きな子」が何人も、なんてわけじゃない。けれど、やっていることは僕もその男も大して変わりはなかった。それを他人から客観的に聞くと、そんな極悪男地獄に堕ちろ。と本気で思ってしまう。僕は自分も救いようのない酷い奴だと実感し、さらに昨日のゆり子から告げられたことを思い出し、何重もの重い気持ちになった。

そんな彼女達の話しを聞くのにとても耐えられなくなり、僕は走り出した。否、逃げたのだ。後ろから女の子達が「まだ話し終わってないのよー、よー」と語尾がリフレインするほどまだ話し足りないようだった。え、なんだ、まだ話の続きがあるのか⁈ と怖くなり、耳に手を当てながら「もう聞きたくないんだよー、わー」と叫びながらエロ兄ちゃんを置いて走って中に入ってしまった。

「大楼門」をくぐり、視界が開けた途端、正面にそれはそれは目もくらむような白亜の建造物が飛び込んできて、一気に女の子の酷い男の話しなど吹っ飛んでしまった。まだ入り口奥の遠くに見えているだけなのに、真正面に堂々と鎮座するタージ・マハルを見て、僕は立ち止まって見惚れた……。そのままぼーっと突っ立って見ていると、後ろからインド人がどかどかと門を通ってきて、僕は何度も同じ側だけぶつけられて、その衝撃でくるくると回転しながら敷地内に入って行った。

つづく

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