小説「チェリーブロッサム」第44話

ゆり子は去った。もう去ってしまった。遅かったんだ。まさかゆり子がその彼と付き合うなんて想像もしてなかった。ゆり子はいつまでだって僕のことを待ってるよ、だって僕のことが好きなんだから。いくら僕が朱里を好きでいようと、ゆり子は待ってるさ。僕がゆり子を選ぶかどうか、それだけの問題なんだから。選びたくなかったら選ばなくても良い、僕が損をすることは無い。心のどこかでは、そんなことまでも考えていた。
しかしすぐに、僕には朱里がいるじゃないか! 朱里が……。不安にかられて叫んだ僕の本音は、誰にも言えないくらい、黒く浅はかだった。ここで朱里のことで気持ちを埋めようなんて、僕の不健全さは泥沼だった。

僕は電話を切ったあと長い間ベッドでごろごろとしていた。考えれば考えるほど、ゆり子の喪失感に怖くなった僕は、街へ出て自棄酒でもしてやろうとベッドから起き上がり、財布だけを持って部屋を出た。僕は感情が押さえられなくて、宿のフロントを「わーっ」と言いながら走り抜けようとしたら、ちょうどフロントにエロ兄ちゃんがいて、「ヘイッ!」と僕を呼び止めた。話しが複雑過ぎて、とてもじゃないが英語で説明などできない。エロ兄ちゃんに「酒、酒」とコップを煽るジェスチャーをした。するとエロ兄ちゃんの目がぴかっと光った!「ツイテコイ」そう言うと数件隣にあるお店に連れて行ってくれた。

そこで僕のシークレット自棄コード「マハラジャ」を遂行した。何かが終わった。終わってしまった。「もう自棄だ!」ご飯も食べたいものを次々と頼み、ビールを浴びるように飲んだ。こんな場面で酒を浴びるなんて、僕はまるで演歌の歌詞にでも出てきそうな堕落男のようだった。そして今も「アソコ」と連呼してくるエロ兄ちゃんに「好きな物食べろよ、なあブラザー」とヒップホップなノリで絡んだ。酔っていた。エロ兄ちゃんは、特に意味を理解したいとも思ってないような表情で、気ままに楽しそうだった。僕が何を言っても「アソコ」の一点張りなのは、さすがになんとかしなきゃという気持ちが芽生え始めたが、僕はエロ兄ちゃんの楽しそうな顔を見ていたら、なんだか落ち込んでいるのがばからしくなってきて、一緒に「アソコ、アソコ」と連呼して大笑いになった。エロ兄ちゃんのおかげで僕は、深い底まで落ちずに済んだ。もし今一人だったら、僕はどうなっていたんだろう。考えると恐ろしかった。今ここで1人じゃなくてよかった、そしてこのエロ兄ちゃんがガイドで僕は救われた。
僕はゆり子への気持ちに蹴りをつけようと決意した。

* タージマハル

翌朝僕は、昨日の大騒ぎによる激しい二日酔いに襲われていたが、今日の予定地のタージ・マハルへと、エロ兄ちゃんに引きずられるように向かった。昨晩は、エロ兄ちゃんもあんなにべろんべろんに酔っぱらっていたのに、もうすでにすっきりしゃっきりで運転していた。僕がこの世の終わりのような二日酔い顔をエロ兄ちゃんに向けていると「ノープロブレムッ!」と僕に元気に言った。
僕は今回の旅で、このタージ・マハルが見れるのは、ガンジスについでとても大きな楽しみだった。建造物にはそれほど興味も無かったが、タージ・マハルだけは違った。なぜだろうと振り返ると、それはおそらくゆり子がとても気に入っていたからだということに気がついていた。そしてまたゆり子のことを思いだしては、喪失感に襲われた。

つづく

FacebookTwitterGoogle+PinterestTumblr