小説「チェリーブロッサム」第24話

* 朱里 再び

ゆり子とはっきりと別れた僕は、何ものにも代え難い晴れ晴れとした気持ちを感じた。僕のすべてを朱里に向けられる、それは僕の最大の喜びだった。そして朱里が僕にすべてを向けてくれる、そう思っていた。今ではゆり子がどんな気持ちだったかなんて考えられないほど朱里に浮き足立っていた。一刻も早く逢いたかった。

ゆり子と別れたあと、僕は朱里とすぐに逢う約束をした。忙しくてとても会う時間が取れないと言うので、少しでも会いたいと言って、僕が朱里の家の近所まで真夜中バイクを飛ばした。1時間ほどの巡航中の間、僕は朱里に会えると思うと胸が張り裂けそうになり、自分の心が破裂するんじゃないかというほど体中が嬉しさで泡立った。ぼこぼこと泡が立ち、僕の全身は赤い色の泡に包まれた。大通りを走っていると、ここを抜ければあと少しで約束の場所に着くという所で、突然車の流れが止まった。僕はバイクでその渋滞の列の脇をゆっくりと進み抜けようと思い、渋滞の先頭まで出ると完全に通行止めになっていた。酷い事故だった。

僕は焦った。朱里を待たせたくないという気持ちももちろん強いが、何より僕が朱里に会いたくて仕方がなかった。そして僕がいる場所がちょうど陸橋の真上辺りで、歩道も無く、Uターンもできない、かといって反対車線に出ようとしても、境界線も大掛かりなフェンスが立っていた。僕は八方ふさがりだった。バイク来た方に押してじりじり下がることもできないことはなかったが、警察やら消防があちこちにいて気が引けてしまった。

時計を見るともう20分は立ち往生している。事故処理もとても終わりそうな気配はなかった。僕は焦った。会いたくて会いたくてたまらないこんなときにかぎって、こんな重大な事故渋滞に捕まる。僕は仕方なく朱里に電話をして事情を話した。もうすぐの場所なのに、とても進めそうにないと。すると朱里は「バイクをそこに置いて、歩いて戻ってきて、その陸橋の手前まであかりが行くわ」と言った。
僕はすぐにバイクを止めて鍵をかけて騒ぎに紛れながら橋を戻った。もうその後にどんな処分があってもいいやという気持ちになっていた。とにかく朱里に会いたい。それだけだった。僕は走って陸橋を戻った。もう今すぐ朱里に会えるんだ、そう思うと今まで感じたことのないような生きる力を自分の中に感じた。僕は正しかった。これが僕の生きて行く道だ。そう思いながら走った。
陸橋を降りると、朱里もちょうど自転車で着いた所だった。朱里は笑顔でこちらを見ている。僕は走って駆け寄った。

僕と朱里の二度目の交際は始まった。僕らは短い合間を無駄にしないように思いきり楽しんだ。手をつないで歩いたり、好きな所へ行き、好きなことをした。古い傷は癒された……。いや癒されたと思いたかった。相変わらず朱里の忙しさは、聞いているこちらが疲れてしまいそうなハードスケジュールだった。スポンサーなどを回ったりチームとのミーティングなどで帰りが夜中の日も珍しくなかった。そのぶん会える時は僕らはいつまでもずっと抱き合っていた。そして僕はずぶずぶと朱里の身体にのめり込んで行く。

僕は心の底から楽しかった。それは快楽と言っても良いほどだった。ゆり子といた時には沸き上がらなかった噴火口には、今ではふんだんにマグマが溢れ、四方に飛び散っていた。飛び散ったマグマの高熱は、僕のあちこちを一瞬で焦がし、酷い熱さと快楽をもたらしていた。僕が欲しかったのはこれだ、この激しい熱さだ。と確信しながらその快楽を楽しんだ。朱里の身体から沸き上がる麻薬にも似たその快楽に、僕はますます理性を無くし、そして縛られていった。

朱里は時間が経つに連れて、電話や約束などを次々に破った。そこには朱里の忙しさや忘れたなどというミスではなく、何か別の理由を感じていた。それに対してとても寂しかったし、イライラもしてしまっていた。しかしそのイライラをぶつけてしまったら朱里がいなくなってしまいそうで、僕は何も言えず、電話の前でただ待つということだけが日常になっていった。それでも約束通りに電話がかかって来ることはそれほど多くはなかった。朱里の行動に対して僕は苦しんでいた。突拍子の無い行動に、突拍子の無いドタキャン。約束の時間から連絡もなしに1時間以上も遅れることも珍しいことではなかった。しかし僕は一度だけ言ったことがあった。
「朱里……、朱里は忙しく飛び回っていて大変かもしれないけど、いつ来るかも分からない連絡を待つのは苦しいよ。電話の時間が大幅に遅れそうなら一度連絡をくれたら嬉しいけど」
「……みなみさん、重いよ、朱里は遅れてもちゃんと電話をするから待っていてほしいの。電話くらいでそんなこと言われたら、あかり押し潰されちゃう」
自分でもそう言われてしまうだろうと分かってはいたが、それでも朱里に約束を破られることは何よりも寂しくて我慢ができなかった。僕はいつだって朱里の声が聞きたかった。 けれどこれ以上望めば朱里はいなくなってしまう。そう考えるとそれ以上は何も言えなかった。

つづく

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