小説「チェリーブロッサム」第15話

朱里とつき合いが始まっても、僕らは滅多に会えなかった。単純にお互いの家が少し離れていたことと、朱里は花の恥じらいも吹っ飛ばしそうなほどエネルギッシュな女子高校生を過ごしながらも、毎週末のほとんどを大きなロードコースの筑波サーキットへ行っていたからだ。僕はと言えば就職もせずにアルバイトとオートバイに精を出すぼんやりとしたフリーターだった。
僕が働くサーキットにも、朱里は練習走行に来ていたことで、ちょくちょくとは言えないまでも、逢うことはできていた。おかげで僕のハートの禁断症状はぎりぎり出ずにすんでいた。
僕らがサーキットで逢った日は、そのまま僕のスクーターに2人乗りをしてよく出かけていた。朱里のお父さんはそれは気に入らないようだったが、朱里は自分がしたいことは誰に何を言われても行動を変えないということを、お父さん自身が一番良く解っていて、以前僕と朱里が帰ろうとしたときは、僕らを捕まえて、
「お前に何言っても無駄なのは父さん、いっちばんわかってんだけどな……」
そう言うと朱里のお父さんはどこか寂しそうだった。僕はなんだか気まずくなってしまって二人から視線をずらした。しかし次の言葉は、
「妊娠すんなよっ! がははは」
だった。気まずくなる必要など全くなかったのだ。
「す、するわけないですよっ! もう!」
僕が顔を真っ赤にしながらムキになって言った。それは半分図星だったからだ。お父さんは僕を見てにやりと笑い、それ以上は何も言わなかった。厳しいながらもいつも朱里のことを心配し、そして最後は朱里のことを尊重してくれる。というか手綱を握りきれていなかっただけなのかもしれないが、それでも僕はお父さんの朱里への深い愛情が見えて羨ましかった。それは僕の胸の中にある「愛」という名前が付いた空っぽの器に、石ころがカランと落ちるような音のする羨ましさだった。
僕らはそんなサーキットで逢った日によく行く片道30分ほどの海岸で、なんとなくくっついてみたり、手をつないでみたりキスをしたりしていた。そして僕がそわそわと居ても立ってもいられなくなると、朱里を誘い二人きりになった。僕らはオートバイにタンデムしたまま、近くにあるいわゆるなホテルなんかに入った。朱里にいたっては制服の時さえあった。気の小さい僕はヒヤヒヤしていたが、朱里は「へいきへいき」と後ろのシートから、手のひらをひらひらと振り、そしてスカートの裾もひらひらとさせながら、僕をチェックインへと進ませた。二人きりになったあとの朱里は本当に高校生か? と疑うような振る舞いに、僕は心の次に身までを完全に奪われ、ますます朱里へと溶けるように夢中になった。
そんな付き合いがしばらく続いたある頃から、急に朱里がよそよそしくなったことを感じていた。今までも朱里の気分で態度が変わるなんていくらでもあった。しかし何か今までと違う僕への接し方は、僕を多いに不安にさせた。
僕はFUAN社が満を持して作ったマシンに跨がり、モーターのコイルを温めた。僕の乗る不安マシンは最新型のモーターバイクだった。僕はコイルの温まったマシンを、ゆっくりと後ろ向きに発進させた。そして後ろ向きのまま、猛スピードで高速道路を突っ走った。そう、僕が乗る不安マシンは、後ろ向きにしか走らない最新型だった。それは、僕にしか乗りこなせないだろうというモンスターネガティブマシンだった。
そんなマシンに乗るくらい、後ろ向きの気持ちの僕は、朱里の素っ気ない態度を目の当たりにすると、急激にぎこちない態度になっていった。僕はなぜか朱里にはいつも、理由もなく怒られるような気がしていて、おどおどとしてしまっていた。朱里に限らず、得体の知れない「誰かに怒られる」という不穏な雲が遮る影の下で、僕はいつも生きていたのかもしれない。その原因はおそらくは母だろう。母の僕への無関心や、愛のない言葉、さらには暴力を使った接し方は、僕の幼い心に恐怖を植え付けるには十分なはずだ。そんな影が僕を支配し、僕の心を歪めていったのかもしれない。けれど20歳にも満たなく、何の知識も経験もなかったそのときの僕の幼い精神では、そんな理屈など分かるはずもなかった。

朱里は誰にでも分け隔てなく気さくに距離を縮める。見た目の会話の距離だったり、少し相手に触れながら話すその仕草なんかは、ちょっとした牙の生えた小さな悪魔だった。
サーキットで、常連の坂本くんのお父さんと仲良くバイクを挟んで話しをしてる朱里を見つけた。話しかけようと近づいてみると、一瞬僕の姿をはっきりと確認したあと、すぐに坂本くんのお父さんとの会話に戻った。それはただの視線。そうであってほしかったが、僕にははっきりとした冷たい疎外感にしか感じられなかった。そんな朱里を目の前にして僕は何もできず、「何も用事はなかった」というごまかしをするのが精一杯で、そうだ自動販売機を点検しなきゃ。というジェスチャーで一人芝居をし、エビのように後ずさって行った。
「ああいう子なんだ」と考えるように、可能な限りのエネルギーで思考を回転させてはいたけれど、すぐに頭の中から不安マシンを引っ張り出してしまっていた。
不安に蹴りを付けると、僕はとぼとぼと受付の窓に行き、朱里の様子を遠くから見ていた。
僕が想像していたような甘いつき合いというものはあっという間に過ぎ、日に日に朱里の態度がよそよそしくなっているのは明らかだった。常連のお客さんからも、「最近朱里ちゃんツレないんじゃないの?」と言われるほどだった。このままでは朱里がいなくなってしまう。そんな恐怖に駆られ、毎日を人生が終わったような顔をして過ごしていた。そしてどうやって朱里に近づけば良いのかわからないまま1ヶ月が過ぎた。僕はその間は、朱里は確実に来ないだろうという平日のサーキットのアルバイトに熱中してみたり、部屋で太宰やハルキを読んでは、気を紛らわせていた。しかし心のよりどころになるはずの読書も、ページをめくっては何を読んだのかわからなくなってまたページを戻し、また同じページをめくった。
「これぐあ! こいくわーっ……」(これがこいか)
あまりに苦しい朱里との恋に、僕の感情は極まった勢いで首輪を引きちぎり、初めて日の目を見て牧草を食べる歓喜の暴れ牛のようだったが、勢い良く扉を開けて外に跳ね出たて叫んだものの、やっぱり外が怖くて小さな声ですぼんでいく、あくまで気が弱い牛田モウ君であった。
こ、これが恋か……。

つづく

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