小説「チェリーブロッサム」第14話

「来月の筑波選手権の開幕、出るんでしょ?」
「うん、出るよ。1ヶ月ぶりの本コースだからちょっと気合い入ってるんだけね。けど聞いてよ、お父さんバカだからどこからかRSの125買って来て、それで出ろって言うのよ。ビリでも良いからなんて言ってさ、ほんと無責任っ。それでそのRS、慣らしもしてない2年落ちの未使用車なんだけど、見たら前後のサスにオーリンズ入ってんの、お父さんどこにそんなお金があったのかしら。きっとあれ借金よ。ほんとにさあ、あんな気難しいサス、セッティングどうすんのよって感じよね」
そう言った朱里の表情は気力に満ちて嬉しそうだった。ミニバイクレーサーだったら誰もが憧れるマシン。しかも前後のサスペンションには高価なオーリンズまでもが装着されている。嬉しくないはずが無かった。
「まじで⁈ ありえない!」
僕はそのマシンのパワーの恐ろしさを知っているだけに本気で驚いて言った。
「そうよ。それにもうエントリーもしたらしく、『朱里っ、おまえのはじめての125のレースのゼッケンは8番だ! 縁起がいいぞ末広がりで。がははは』なんてさ」
「で、おまえRS乗ったことあんの? ツーサイクルのガチレーサーマジでヤバイぞ?」
「あるわけないでしょー。まぁS80はRSの車体使ってるからなんとなくはイメージつくし、コースも走り慣れたものだけど……」
「おれ一度だけここで乗ったことあるけど、あの加速は狂ってるよ……。もちろんここじゃ2速だってまともにエンジン回せないけどね。もうおれあのマシンお腹いっぱいだよ」
「まじか……。そうよね、スペック見ただけで恐ろしいわ……。原チャリより軽いあの羽のような車体に、43馬力のエンジンは化けもんよね、あんなマシン狂ってるとしか思えないわ。正直ちょっとビビってるけどね。けどまあ誰だって憧れるでしょ、純粋なレーシングマシンなんてクセも無いし、慣れたら簡単よ。もう自棄ね。あはは。けどまあ、一番このマシンに憧れてるのは、実際はお父さんなんだけどね……」
「ああ、あの怪我のこと……?」
「そう。お父さんが怪我したのはあかりと同じ筑波でのS80クラスだったけど、優勝できたらチームがRS125用意してくれるって言ってくれてたみたいなの。それでお父さん予選で気合い入り過ぎちゃって、タイヤもまだ温まってないのに、一番スピードの乗る最終コーナーでかなりやばいことしたらしいの。いくらお父さんが速かったからってそりゃ無茶よって言いたくなるくらいのことよ」
「なにがあったの?」
筑波サーキットの最終コーナーは、単純に止まって加速するというストップ&ゴーではなく、二つのコーナーが組み合わさるような複雑で難解な高速コーナーだった。けれども筑波攻略はこの最終コーナーにかかっていると言われていて、数多の勇猛果敢なライダー達が、タイムアップを計る為に無謀なトライを繰り返していた。朱里のお父さんもその一人なのだろう。
「あかりが聞いた話だとお父さんは、最終コーナーを6速全開で膝を擦るまで進入して、普通ならそこで一つギア落とすんだけど、お父さんそのまま回ろうとしたんだって。エンジンブレーキも足らない状態だからかなりスピードも出てるし、旋回力も足らない。だからフロントサスを沈める為だけの触るようなブレーキで、マシンのキャスターを立てて旋回力上げたんだって、その矢先、マシンのリヤタイヤがスライドをしたらしいの、かなり長い時間。ギヤも落としてないからリアタイヤの加重が抜けていたこともあったのかもしれないけど、非力な80ccのマシンでそんなスライドするわけないのよ。だけどそれだけあり得ないスピードだったのね。普通なら確実にそこでオーバーラン。それで終わりよ。非力と言っても最終コーナー入り口で150kmは出るのよ、けれどお父さんはそれ以上だったのね。それでもお父さん無理矢理ハンドルをこじってアウト側に切って、内側のラインを狙ってなんとか、立ち上がり付近までマシンを持っていったのよ、さすがお父さんよね。けどそのあとアウト側のゼブラからタイヤ半分コースの外に落ちちゃって、それですべて終り。でもそのクラッシュのこと、本人は全部詳細に覚えてるんだって。普通あんなクラッシュ記憶が飛んでもおかしくないわ。だってヘルメット割れてたらしいのよ? 信じられる? よく生きてたわよ。マシンもお父さんもばらばらだって。なにせコンクリートウォールに沿ってそのままマシンと一緒に滑って行っちゃったんだからね。考えただけでぞっとするわ。けどお父さん、酔っぱらうと笑いながらその時の様子再現するのよ、実況しちゃってさ。最後は写真まで見せて来て。へんなトラウマ植え付けんなよっ。っていつも蹴っ飛ばしてるわ。まったく」
と言って朱里は呆れていた。
「朱里らしいや。ははは。でもだからそれだけ詳しく言えるんだね」
と言って僕はそのお父さんのクラッシュを想像してみると、体中が痛んだ。
「けどおれは心配だな。練習は何本くらい走れるの?」
「通常の練習走行2本で、うまく予約取れれば4本かな、それと金曜日の公式練習が2本でしょ、あとは土曜の予選。で、日曜の決勝はほぼぶっつけね。無謀……かしら?」
「いやいや、朱里くらいの腕があれば乗れるとは思うし、予選くらい通るんじゃない?」
「予選⁈ えー、それは無理よー。聞いたら300台以上エントリーあるんだって⁈ 信じられる? 決勝が32台しか出れないって言うのに……。最低でも予選組で3位以内には入らないと決勝は無理ね、タイムで言ったらトップから1秒落ち以内かしら。厳しいわ。無理ね、むりむり」
そう言うと朱里は俯いて目を瞑りながら、軽く手のひらをひらひらと振った。
「げっ⁈ 300台⁈ 噂は聞いていたけど、125凄まじいな」
「そうよ全日本選手権のGP125なんか、トップ走れたらそのまま世界GPでトップ走っちゃうくらいのレベルなのよ。知ってるでしょ? 地方選手権なんかそりゃ、あっちあちの戦いよ。でもあかりなんだかわくわくしてるの、自分がどこまで速く走れるか試せるのがね」
そう話す朱里の目は、どこかをまっすぐに見据えた力のある視線だった。朱里は本気だ。その分僕は心配でならなかった。
「みなみさん絶対見に来てよ、それでグリッドのサポートもお願いよ。今回はプラススピードからのエントリーだけど、あかりたちはパーツも人手も全部手持ちなの。だからメカはお父さんでサポートはお母さんなんだから。心配でしょ? お母さんなんか初めて筑波サーキットに来るのよ。もう笑うしかないわね」
そう言うと朱里はあははと軽く笑い飛ばした。
「いくよ! 絶対行く!」
「うん!」
そのあと僕らはバイクの話題ではなく、世間話なんかを延々とした。僕は朱里のことが好きだった。朱里が「じゃっ」と言って受付を出ようとしたとき、引き止めた。
「あかりっ、あのさ、い、忙しいと思うけど、今度横浜でも、い、一緒に遊び行かない?」
僕は勇気を振り絞って言った。言葉につまずきながらもシンプルに本心を込めて。
「えっ? ん……考えときますっ」
朱里はちょっとだけにこっとして立ち去った。
翌月、朱里のスケジュールのタイミングをぬって、僕らは横浜へ遊びに行った。シーバスに乗ったりショッピングをしたり楽しんだ。普段着の朱里は危なっかしいミニスカートで、長い足をこれでもかと世間に見せつけていた。僕は朱里の自信にあふれる堂々としたモデルのような姿を見て、一緒にいる自分もどこか優越感に満たされたような気持ちになっていた。おそらくそれは僕のコンプレックスを払拭してくれるくらい魅力的な容姿の朱里と一緒にいることで、僕まで魅力的な人間に見られている、そんな姑息な思いが僕を取り巻いていたのだろう。その頃の僕には、そんなことなどわかるわけもなく、ただただ悦に浸った。そういうことだ。その日の帰り際、山下公園を通って駅まで戻る途中、僕は朱里に、
「ね、ねえ、おれたち、つき合わない……?」
と頼りない声のトーンで告白をした。
「良いですよ、つき合おうか」
さっぱりと素っ気のない返事だったので、僕は戸惑ったが、つき合ってくれるということは、僕のこと好きなんだ。そう解釈することはなにも間違ってはいはいはずだ。つき合うという返事をもらい、生まれて初めて彼女ができた。その現実に僕はただ浮かれて喜んだ。嬉しさのあまりふわっと体が浮かぶようだったが、しかし僕はこの手で掴んだ朱里の気持ち、確かに掴んだはずなのに、実態がないような感覚はどこか僕の心を不安にさせた。そしてその不安が増すほどに僕は朱里へと気持ちを傾かせ、朱里の全てを手に入れようと躍起になった。僕は朱里に夢中になった。

つづく

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