拝啓、イラストレーター辞めました 最終話

高い所から見下ろす海はどこまでも雄大に見えた。

そして僕は風景が描けなくなった。いや自分を癒す為に描く必要がなくなったのだ。それに気がつくと、しがみついていた風景への想いは自然に肩の力が抜けていった。
ずっと気がつかず、過ぎ去ったものへの執着にも似た取り組みを今手放すと、絵を通して自分を癒す必要がなくなった。
癒そうと思い取り組んでいたその風景への想いは、小さな水滴を落としながら遠く高く階段を登り、そしてなんとなくそこに居る気配を残しながらも見えなくなった。(キザだなおい)なんとなくで十分だった。それで精一杯だった。。。

自分のイラストへの取り組みの大部分をしめていた、その風景への想いはもはや過ぎ去ったもの。いや過ぎ去ったというより解脱?悟り?に近いのでは?
今世(こんせ)でやり切った。
カルマを燃やし切った。
そして憂いもなくなった後、晴れ晴れと来世に向かう道を歩き出した。(大げさだ)
そんな気分だった。しかしそこまでの気もちになったのはもう少し後の話だが。。。

僕はまた大きな階段を踏み外す。
あんなに沢山の手順を踏み、間違えないように慎重にカードを引き、確認し手元から外していく。それが出来ていた後に訪れたのはさらに絵に対する歪んだ執着だった。正確にはそれを感じられてはいたものの、理解できてはいない事だった。

僕が侵した大きな間違え「何が描きたいか。ではなく何が描けるか」悩みに悩み何を描きたいのか解らない旅。何が描けるかを探す旅。それは自分が足を踏み入れてはならない世界だった。そこは技術で勝負しなければならない戦国武勇の世界だった。廻りを見ても大御所、脚光を浴びている人を見渡しても腰が抜ける程絵をうまく描く手練猛者だらけの世界だった。
しかしふらふらと幽霊のようにこの職業を続けてるあまり、判断能力は著しく低下、視界不良。もはやレーダーを失った飛行機のようにあっちへふらふらこっちへふらふらなフライトを続けるボーイングわたし号。

気が向くもの色々なタッチやモチーフ、スタイルを試す。(塾で何をおそわったのか。このたこっ!)それなりにこの仕事も長く携わり、絵という物をそれはそれは毎日考えて来た。そうするとある程度骨になる部分を作るコツがわかるとそれなりの見た目だけの絵は描けていった。しかしそんな絵で通用するわけがない。思いついたような絵で勝負できる甘い世界ではない。。。

何を描いても、どれを描いても、それなりに満足感も得られた。楽しいと思える絵も描けた。けれど描いた絵の満足感、楽しさはそれほど長くは続かなかった。

このタッチで描こう、「うんこれいける。これずっと描いて行こう」
ハネムーン期。
そしてすぐにこれじゃない期到来。
もうあなたとは終りね。バタンっ(ドアをしめて出て行く)

次のタッチ、「うんこれいける。これずっと描いて行こう」
ハネムーン期。
そしてまたすぐにこれじゃない期到来。
もうあなたとは終りね。バタンっ(ドアをしめて出て行く)
デジャブ。。。

……

気を失う。。。

チュンチュン、チュン。。
「こ、ここはどこ?」
「ここはあきらめの国ワンダーランドよ」
と囁いて来たあきらめ田あき子さんというメイドさんが僕をいざないに来た。
躊躇なく宇宙の彼方までぶっとばす。
「え~、そんな~、んな~、な~なー…」

あきらめなんかそんな引き出しもってないのよイラストに関して。わたし。
これだけ苦労して、これだけ努力して、これだけ実績(自分なりの)残して。それに絵はほんとうに大好きなのよ。わたし。ねえ。

それでもまだ気がつかない。制作意欲の燃料ももう底を突いていた。そして気がつかない期はまたさらに過ちを犯す。

地元からちょっと数街離れた街で施設グラフィックのデザインを手がけるデザイン事務所のデザイナーさんに声をかけてもらったのだ。とても良いお話だった。途中までは過ちでも間違いでもなくキャリアの積み重ねになる出会いだった。
「描いてほしいイラストきっと沢山あると思って。そして地元の方がいいなと思い連絡しました」
僕はこれだ、これが僕のほんとうに長くつづくポジションだ。
確信した。しかし決定的にイラストレーターとして大きな物を欠きながら。。。

依頼を受けた施設関係のイラストはとてもやりがいのある物だった。
しかし要求されるレベルはとても高い。
沢山の要望を依頼を受けて取る組むも、到底僕では完成できないであろう項目もいくつも。
その都度僕は冴えないラフを何度も出さなければならず、帰って来る赤の山に心がぽきぽき折れた。
おれの心は三節琨~あなたのは~とにとっぴんぐ~♪いかようにも折って頂戴お好きな所で。おりほうだ~い。
めげた。もうめげてしまった心の底からめげてしまった。。。

この頃はもう生活にも仕事にも疲れ切り、精神的にもどん底に居た。(今もまだもがきの五里霧中なのだけれど)

せっかくのお話や依頼も期待を裏切る結果になったと思う。
そして完全に自分のキャパを何もかもが超えてしまった。
出来ない事をこれでもかと無理矢理やろうとしすぎてしまったのだ。
出来るわけがない、自分がもともと目指していたのはシンプルなパーツだけで完成し、心の世界がのぞけるような心象風景な世界なのだから。

いくつかの案件を迷惑かけっぱなしでこなし、命からがら納品。の日々。。。
とうとう何もかもが底を尽きたときあるひらめきが降りてくる。

「イラストレーターを辞めよう!、この仕事をやめよう!」

は、なんだ、この感覚!辞めよう?辞める?このわたしが?!え~~~~。
もう声はうわずり、そこかしこで人々は踊り、酒を飲み、歌を唱った。そしてニヤニヤと深い眠りに付き、翌朝昇った朝日は向かいの家の小さなお花の鉢植えを明るく照らし、小鳥は楽しそうにさえずった。

仕事をやめるという選択は、きちんと会社に雇われていたものの、わき上がる別職への希望に満ちあふれ、もしくは嫌で嫌で仕方がなく、けれど家族のため家のローンのため働いて来た。けどそれは自分の人生じゃない。自分はやりたいことをやるんだ。そんな方々だけが得られる選択の悩みかと思っていたようだ。どうやら。

わたくしの場合は好きで始めました。とってもとっても努力しましたが、なんとか軌道にのりました。仕事は絵を描くだけの作業です。好きな時に起きて、好きな時にご飯食べて、好きな日に休みます。お金はバイトするなんかより、下手したら中小企業に居た頃より断然稼げている。
おれって幸せか?幸せなのか?こんな優遇ないよね~。ぷか~。遠くの箱根の峯の向こうに見える富士山をみながらエアー一服。
そんな優遇されてる人間が持てる発想では到底なかった。。。

「え~、辞める~???辞めるって選択なかったわ~、それなかったわ~」
僕は腕を組み居間をぐるぐるぐるぐる時計方向にひたすら回りながら、独り言のように言い続けた。
それを見ていた娘は「ぱぱあっちいって~」
じゃまだった。

「しゃばだばしゃばだばほうれんそう」
なんだそれ?頭壊れたのか。あまりの思ってもないひらめきに意味の分からない呪文のような物まで吐き出し、もうちっさい頭脳みそCPUは暴走した。
そのCPUは熱を帯び、軽快に廃熱ファンを高らかに鳴らせた。「ぶ~~~ん」あの耳障り。

とにかくイラストという存在の中いる自分が何をしようかずっと考えてきた。
忙しかった時代数年は何も考えなくてよかった。

しかし依頼を受ける度には
「よっしゃこい!」
ではなくて

「え~~~できな〜〜い」
としか思わない時期はわりと当初からだったのかも。。。

高く高く飛ぶとんび。あれくらいいかれるのかなって微かな期待もあった…。

いくら好きで始め、なんとか軌道には乗せれたけれど、もう何もかもがキャパオーバーだったのだよね。
まったく気がつかなかった。気がつかなかったというより、見てみない振りしてたのだ。いやそうじゃない、ちがうちがうそおじゃなあ~い。鈴木雅之ばりにそうじゃなかったのよ。けど見てたのよ、自分でしっかりそのキャパオーバーみてたのよね。確認してたのよね。
でも見ないふりしてました。
「それは他人事」

そんなわけで僕のイラストレーターとしての十数年の生活は楽しみより苦しみがほとんどだったような気がする。
それにも気がつけない程自分の心は痛みに対して麻痺鈍感が染み付いてしまっていたんだろう。

フリーランスの仕事形態は人が苦手な自分にはとても最高の環境。そして末端のフリーランスイラストレーターとはいえ、稼げる時は今まで見た事もない額(あなたが想像する金額からゼロを2つ抜いてください)が稼げる。
そんな仕事に就けて嬉しかったし楽しかったし、安心だった。どこまでもどこまでも一生取り組んで良い行こう。それは間違いないと思っていた。
でも、だからこそ自分が傷ついている事や、悲しかったり苦しかったり辛かったりが見えにくかった。でもでも何よりそんな苦しさも何とも思わない。というような情熱がなかったのかもしれない。

そんな麻痺鈍感は子供の頃からの心の傷も多いに関係している。と思う。もうごっつりとさ。「仕事を辞めよう」と思えたのは、自分の半生を振り返り傷ついた気持ちを毎日のようにどうしたら救えるか。それに取り組んだ結果思えた発想なんだと思う。
ここまで自分に取り組まなかったらきっと苦しみながらもずっとずっと続けていって、偽物の架空の満足感を感じるだけで突き進んでいたと思う。架空の満足感は架空。
続けていても、実態のない満足感では自分の気持ちの貯金箱に何かが貯まる事はないだろう。なかっただろう。

最後イラストレーターとしての僕に訪れたのは、どうしようもない強迫観念。
そこまでの強迫観念に囚われたのは、どうしても自信が持てない自分の作風だった。
自分の絵をみたのなら仕方がないが、やはり具象的なイラストレーターと思われてしまう。でもそれも仕方がなかった。誰の性でもない、さらには自分がそうして世の中にプレゼンしていたのだ。そりゃ修正訂正の依頼にも相手方の価値観で進んでしまう。ほんとさ。
相手の言う事を一つ一つ聞いてそれに対してこちらから注文する事はなかった。どんなに自分が描きたい方向から離れていようとも、相手が正しい。自分が間違い。そこに疑問を持てなかった。こうしたらこの案件はもっと良くなる。そんな提案など出来るわけがない程自信がなかった。
絵はどんどん誰の絵かもわからない物になり、気がつくとどこまでもごまかして絵を描いている事にも気がついた。
そして何より楽しくなかった。描いていた楽しくなかったのだ。というか描いていて楽しい時はあったのか?
自分に自分で聞いてやりたい。。。
一体そんな絵でだれが幸せになるんだろう。今ならその時々の自分におもいくそいってやりたい。
「おいおいおいおいおいっ!っ」って。頭でも叩いてやりたい気分だぜ。

あれ、なんだこの水、目から水がでてく、く、る、るよ。嗚咽
夜の公園の滑り台でビール片手に
「はいどうぞ、今夜は送りますからたっぷり飲んでくださいね」
「と、とうごくん!」(ここ知る人ぞ知るドラマの台詞。これ拾ってくれる人友達になりたいわ)

茶番はどけ。

街を歩き樹木を見れば
「え~、こ、こんなのかけないよ~」

おしゃれな人を見れば
「え~、こ、こんなのかけないよ~」

どこまでも続く綺麗な構図の道路を見れば
「え~、こ、こんなのかけないよ~」

どこにいっても何を見ても、それをきちんと描かなければならない。
そんな脅迫観念にそこまで襲われていたのはもうかわいそうとしか言い用がなかった。
ほんとうに外に出るのが怖かった。

こわいこわい、そおじゃ、そおっじゃなあ~い。再びまーちん。

自分はまだまだ頑張れば仕事沢山来ると思うのです。頑張る限り。そして好きな事なのに頑張りになってしまっているのもそれはそれで問題なのだ。つまり、自転車を漕いで漕いでこぎまくってヘッドライトを点灯させる。そんなふうにしか頑張れない。そしてこの自転車を漕ぐのは好きじゃなかった。で漕ぐの辞める。ライト消える。すなわち仕事が来ない。本当に向いてる人はなんにもしなくてもライト付いてるんですよね。僕が見る限り。仕事が仕事を生むというのもその一つだと思う。
僕の場合装画を何冊も(20冊くらいかな)手がけましたが「その仕事をみて依頼しました」はなかった。全国に流通し津々浦々まで浸透した装画ですが、なにも反応がないというのも寂しかった。。。そしてせっかく採用して頂いたデザイナーさんや、もちろん肝心の著者の方々にも僕の職能としての技量が足りなかった事を謝りたい。

なので仕事が来る来ないではなく、自分の進退としてこれはとても良い選択だと言う事。
そしてそれは自分がしないことによって他のもっと優秀なイラストレーターさんに仕事が回るという事。
絵が上手いだけでもだめだと思うし、営業が上手いだけでもダメだと思う。
そして、その両方があってもダメなのだろう。
一番大事なのは、自分がどんな前提で取り組んでいるか、どんな根拠のない自信をもって取り組んでいるか。
その部分が多いに影響している事を痛感したこの廃業への岐路で思うことだった。

なので辞めると思いついてからはほぼ悩まなかった。
ただただ解放される事へ自然に舵はそう向いた。一度思いつくともうその後は絵を描こうなんて到底思えなくなった。
選択は正しかったと思う。
これから先の不安は計り知れなく、貯金も職もない、リアルな無職。
それでも家族はなぜか喜ぶ。
僕がイラストに取り組むのはそれだけ違和感があったようだ。

さらに恩師と言える方々に報告をしたところ、
「楽しくなかったら辞めていいと思います」
「生きる場を変えたらもっと自分らしさが出ると思います」
自分自身そんな思いでの選択だったが、縁のある方々からこんな温かいエールを頂いて励みに思え、胸が熱くなるのを感じている。
今の日本の社会で辞める事、諦める事を温かく受け止めてくれ、こんなふうに言ってくれる。
そんな人はそれほど多くないと思っている。

ここまで読んで頂けた方々にはもう感謝しかありません。
こんな駄文を最後まで読んでいただけるなんて。
そして気づいてしまったのです。イラストレーターを始めてからずっと自分のブログでは来訪者に飽きて頂かないようにブログを書き続けて来た事。
若い時は風邪をこじらせてお笑い芸人にでもなりたいと思っていた。(当時談「えー本気でした」)
若かりし頃、バイクレースをしていた時周りにはテレビで見る芸人より何倍も面白い人たちに囲まれていた。そんな中当時の若い私は面白DNAをスポンジのように吸収していった。日々の中で常にユーモアな切り返しを楽しむ自分には、こんなころころとふざけながらも真面目な事を言う。そんな文体がとても好き。体に染み付いたこんな文体をもっと書いてみたいと思いこんなサイトを立ち上げてみたのだ。

今まで文章を書く手が止まる事はなかった。FaceBookはイラストレーターとして営業目的のツールとして立ち上げた物の、日常日記の文章の発表の場になっていた。沢山描いて来た「何が描けるか絵」しかしその絵に評価が目白押す事はなかった。絵に対する「薄っ」の反応の反面、文章はなぜかおもしろがってもらえた。僕にはそれが、絵を褒められより何より幸せなんだと思った。

もうこれからは思う存分お金が尽きるまで、(直ぐ尽きるー。←なんか楽しそうじゃねーか?)ちょっとおもしろおかしくでもほろっとするような文章を暇人のつぶやきとして書こうと、いや描こうと思う。今は本気でそう思う。仕事はないしお金もない。しかしなぜか自分は大丈夫なのではないかと根拠のない自信(というと大げさだけど)がほろりほろりと手のひらに降りて来ているのを感じる。それが何より大事なのだろう。

文章を書くではなく、文字を描く。そのニュアンスが自分には距離を近く感じられる。
そう僕はイラストレーターは辞めたのだが、書く事、いや描く事は辞めないのだ。
きっとこれからもずっと。

ご清聴ありがとうございました。

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